
『コンテンツ過剰接続』2025年最後の特集は「実存」。年末にふさわしい壮大なテーマでしょう。「人間が存在すること」の不安や不条理を描いた哲学小説の名作、ジャン=ポール・サルトル『嘔吐』をもとに、今回我々が「過剰接続」によって読み解くのはそう、『ちいかわ』です。つまり、サルトルが20世紀における実存主義小説の金字塔としてその王座に座ったのならば、いま21世紀のその椅子に座るのは、他の誰でもない、ナガノだということ。
あなたがふと自分の手を、あるいは自分の名前の文字列をじっと見続けたとき、それが「自分の一部」という認識から離れ、なにか奇妙な肉の塊やうごめく生物のように見えて気味が悪くなった経験はありませんか?サルトルはこの生理的な不快感に「嘔吐」と名付けました。
たとえば 『ちいかわ』におけるキメラ化。かつて「かわいくて無害な住民」だったものが、何か過剰な力を得て、意味不明な奇声を上げる「得体の知れない肉塊」へと変貌してしまう。「あの子」がキメラに変わってしまったエピソードで、ちいかわ達が感じる戦慄こそ、まさに『嘔吐』の主人公・ロカンタンが感じた「今まで知っていた世界が、ドロドロした異質なものに裏返る感覚」そのものです。両作品に共通するのは、「世界は残酷で無意味かもしれない。それでも、何か小さな世界の秩序を見つけて、今日をやり過ごしていくしかない」という、諦念と表裏一体のタフな実存、生活実感です。
21世紀の不条理文学の金字塔こと『ちいかわ』。来年には映画化も控えるこの作品について『嘔吐』をもとに考えることこそ、20世紀と21世紀に共通するテーマを発見し、その先の未来を照らすことに繋がるはずです。年末年始を家族団欒でワイワイと過ごす方も、ちいかわとハチワレのようにふたりでささやかに過ごす方も、ロカンタンのように部屋でひとりごちるだけの方も、このエピソードを聴いて、じっくりと来年に想いを馳せるのはいかがでしょうか。それでは皆さま、良いお年を。