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林芙美子 新版放浪記 第一部
えぷろん
10 episodes
9 months ago
『私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない…』で始まる新版放浪記、大正・昭和初期にかけての林 芙美子はどのように生きてきたのでしょうか。ご一緒にお楽しみいただければ幸いです。なお、文中には今日では不適切と思われる表現が含まれておりますが、そのまま読ませていただいておりますことをご了承くださいませ。  えぷろん
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『私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない…』で始まる新版放浪記、大正・昭和初期にかけての林 芙美子はどのように生きてきたのでしょうか。ご一緒にお楽しみいただければ幸いです。なお、文中には今日では不適切と思われる表現が含まれておりますが、そのまま読ませていただいておりますことをご了承くださいませ。  えぷろん
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林 芙美子 放浪記第一部 その7
林芙美子 新版放浪記 第一部
13 years ago
林 芙美子 放浪記第一部 その7
参照テキスト:青空文庫図書カード№1813 音声再生時間:37分53秒 shinpan-hourouki1-13~14a.mp3 (十月×日)  秋風が吹くようになった。俊ちゃんは先の御亭主に連れられて樺太に帰ってしまった。 「寒くなるから……」と云って、八端(はったん)のドテラをかたみに置いて俊ちゃんは東京をたってしまった。私は朝から何も食べない。童話や詩を三ツ四ツ売ってみた所で白い御飯が一カ月のどへ通るわけでもなかった。お腹がすくと一緒に、頭がモウロウとして来て、私は私の思想にもカビを生やしてしまうのだ。ああ私の頭にはプロレタリアもブルジュアもない。たった一握りの白い握り飯が食べたいのだ。 「飯を食わせて下さい。」  眉をひそめる人達の事を思うと、いっそ荒海のはげしいただなかへ身を投げましょうか。夕方になると、世俗の一切を集めて茶碗のカチカチと云う音が階下から聞えて来る。グウグウ鳴る腹の音を聞くと、私は子供のように悲しくなって来て、遠く明るい廓(くるわ)の女達がふっと羨(うらや)ましくなってきた。私はいま飢えているのだ。沢山の本も今はもう二三冊になってしまって、ビール箱には、善蔵の「子を連れて」だの、「労働者セイリョフ」、直哉の「和解」がささくれているきりなり。 「又、料理店でも行ってかせぐかな。」  切なくあきらめてしまった私は、おきゃがりこぼしのだるまのように、変にフラフラした体を起して、歯ブラシや石鹸や手拭を袖に入れると、私は風の吹く夕べの街へ出て行った――。女給入用のビラの出ていそうなカフエーを次から次へ野良犬のように尋ねて、只食う為(た)めに、何よりもかによりも私の胃の腑(ふ)は何か固形物を欲しがっているのだ。ああどんなにしても私は食わなければならない。街中が美味(おい)しそうな食物で埋っているではないか! 明日は雨かも知れない。重たい風が飄々と吹く度に、興奮した私の鼻穴に、すがすがしい秋の果実店からあんなに芳烈な匂いがしてくる。         * (十月×日)  焼栗の声がなつかしい頃になった。廓を流して行く焼栗屋のにぶい声を聞いていると、妙に淋しくなってしまって、暗い部屋の中に私は一人でじっと窓を見ている。私は小さい時から、冬になりかけるとよく歯が痛んだものだ。まだ母親に甘えている時は、畳にごろごろして泣き叫び、ビタビタと梅干を顔一杯塗って貰っては、しゃっくりをして泣いている私だった。だが、ようやく人生も半ば近くに達し、旅の空の、こうした侘しいカフエーの二階に、歯を病んで寝ていると、じき故郷の野や山や海や、別れた人達の顔を思い出してくる。  水っぽい眼を向けてお話をする神様は、歪んだ窓外の飄々としたあのお月様ばかりだ……。 「まだ痛む?」  そっと上って来たお君さんの大きいひさし髪が、月の光りで、くらく私の上におおいかぶさる。今朝から何も食べない私の鼻穴に、プンと海苔(のり)の香をただよわせて、お君さんは枕元に寿司皿を置いた。そして黙って、私の目を見ていた。優しい心づかいだと思う。わけもなく、涙がにじんできて、薄い蒲団の下から財布を出すと、君ちゃんは、「馬鹿ね!」と、厚紙でも叩くような軽い痛さで、お君さんは、ポンと私の手を打った。そして、蒲団の裾をジタジタとおさえて、そっと又、裏梯子を降りて行くのだ。ああなつかしい世界である。 (十月×日)  風が吹いている。  夜明近く水色の細い蛇が、スイスイと地を這(は)っている夢を見た。それにとき色の腰紐が結ばれていて、妙に起るときから胸さわぎがして仕方がない。素敵に楽しい事があるような気がする。朝の掃除がすんで、じっと鏡を見ていると、蒼(あお)くむくんだ顔は、生活に疲れ荒(す)さんで、私はああと長い溜息(ためいき)をついた。壁の中にでもはいってしまいたかった。今朝も泥のような味噌汁と残り飯かと思うと、支那そばでも食べたいなあと思う。私は何も塗らないぼんやりとした自分の顔を見ていると、急に焦々(いらいら)してきて、唇に紅々(あかあか)とべにを引いてみた。――あの人はどうしているかしら、切れ掛った鎖をそっと掴(つか)もうとしたけれども、お前達はやっぱり風景の中の並樹だよ……神経衰弱になったのか、何枚も皿を持つ事が恐ろしくなっている。  のれん越しにすがすがしい三和土(たたき)の上の盛塩を見ていると、女学生の群に蹴飛(けと)ばされて、さっと散っては山がずるずるとひくくなって行っている。私がこの家に来て丁度二週間になる。もらいはかなりあるのだ。朋輩(ほうばい)が二人。お初ちゃんと言う女は、名のように初々しくて、銀杏返(いちょうがえし)のよく似合うほんとに可愛い娘だった。 「私は四谷で生れたのだけれど、十二の時、よその小父さんに連れられて、満洲(まんしゅう)にさらわれて行ったのよ。私芸者屋にじき売られたから、その小父さんの顔もじき忘れっちまったけれど……私そこの桃千代と云う娘と、広いつるつるした廊下を、よくすべりっこしたわ、まるで鏡みたいだったの。内地から芝居が来ると、毛布をかぶって、長靴をはいて見にいったのよ。土が凍ってしまうと下駄で歩けるの。だけどお風呂から上ると、鬢(びん)の毛がピンとして、とてもおかしいわよ。私六年ばかりいたけど、満洲の新聞社の人に連れて帰ってもらったの。」  客が飲み食いして行った後の、こぼれた酒で、テーブルに字を書きながら、可愛らしいお初ちゃんは、重たい口で、こんな事を云った。もう一人私より一日早くはいったお君さんは背の高い母性的な、気立のいい女だった。廓の出口にあるこの店は、案外しっとり落ちついていて、私は二人の女達ともじき仲よくなれた。こんな処に働いている女達は、初めはどんなに意地悪くコチコチに用心しあっていても、仲よくなんぞなってくれなくっても、一度何かのはずみで真心を見せ合うと、他愛もなくすぐまいってしまって、十年の知己のように、姉妹以上になってしまうのだ。客が途絶えてくると、私達はよくかたつむりのようにまあるくなって話した。 (十一月×日)  どんよりとした空である。君ちゃんとさしむかいで、じっとしていると、むかあしどこかでかいだ事のある花の匂いがする。夕方、電車通りの風呂から帰って来ると、いつも呑んだくれの大学生の水野さんが、初ちゃんに酒をつがして呑んでいた。「あんたはとうとう裸を見られたんですってよ。」お初ちゃんが笑いながら鬢窓に櫛(くし)を入れている私の顔を鏡越しに覗(のぞ)いてこう云った。 「あんたが風呂に行くとすぐ水野さんが来て、あんたの事訊いたから、風呂って云ったの。」  呑んだくれの大学生は、風のように細い手を振りながら、頭をトントン叩いていた。 「嘘だよ!」 「アラ! 今そう言ったじゃないの……水野さんてば、電車通りへいそいで行ったから、どうしたのかと思ってたら、帰って来て、水野さんてば、女湯をあけたんですって、そしたら番台でこっちは女湯ですよッ……て言ったってさ、そしたら、ああ病院とまちがえましたってじっとしてたら丁度あんたが、裸になった処だって、水野さんそれゃあ大喜びなの……」 「へん! 随分助平な話ね。」  私はやけに頬紅を刷くと、大学生は薄い蒟蒻(こんにゃく)のような手を合せて、「怒った? かんにんしてね!」と云っている。何云ってるの、裸が見たけりゃ、お天陽(てんとう)様の下で真裸になって見せますよ! 私は大きな声で呶鳴(どな)ってやりたかった。一晩中気分が重っくるしくって、私はうで卵を七ツ八ツ卓子へぶっつけて破(わ)った。 (十一月×日)  秋刀魚(さんま)を焼く匂いは季節の呼び声だ。夕方になると、廓の中は今日も秋刀魚の臭い、お女郎は毎日秋刀魚ばかりたべさせられて、体中にうろこが浮いてくるだろう。夜霧が白い。電信柱の細いかげが針のような影を引いている。のれんの外に出て、走って行く電車を見ていると、なぜか電車に乗っているひとがうらやましくなってきて鼻の中が熱くなった。生きる事が実際退屈になった。こんな処で働いていると、荒さんで、荒さんで、私は万引でもしたくなる。女馬賊にでもなりたくなる。 若い姉さんなぜ泣くの 薄情男が恋しいの……。  誰も彼も、誰も彼も、私を笑っている。 「キング・オブ・キングスを十杯飲んでごらん、十円のかけだ!」  どっかの呑気坊主が、厭に頭髪を光らせて、いれずみのような十円札を、卓子にのせた。 「何でもない事だわ。」私はあさましい姿を白々と電気の下に晒(さら)して、そのウイスキーを十杯けろりと呑み干してしまった。キンキラ坊主は呆然と私を見ていたけれども、負けおしみくさい笑いを浮べて、おうように消えてしまった。喜んだのはカフエーの主人ばかりだ。へえへえ、一杯一円のキング・オブを十杯もあの娘が呑んでくれたんですからね……ペッペッペッと吐きだしそうになってくる。――眼が燃える。誰も彼も憎らしい奴ばかりなり。ああ私は貞操のない女でございます。一ツ裸踊りでもしてお目にかけましょうか、お上品なお方達よ、眉をひそめて、星よ月よ花よか! 私は野そだち、誰にも世話にならないで生きて行こうと思えば、オイオイ泣いてはいられない。男から食わしてもらおうと思えば、私はその何十倍か働かねばならないじゃないの。真実同志よと叫ぶ友達でさえ嘲笑っている。 歌うをきけば梅川よ しばし情(なさけ)を捨てよかし いずこも恋にたわぶれて それ忠兵衛の夢がたり  詩をうたって、いい気持ちで、私は窓硝子(ガラス)を開けて夜霧をいっぱい吸った。あんな安っぽい安ウイスキー十杯で酔うなんて……あああの夜空を見上げて御覧なさい、絢爛(けんらん)な、虹(にじ)がかかった。君ちゃんが、大きい目をして、それでいいのか、それで胸が痛まないのか、貴女の心をいためはせぬかと、私をグイグイ掴んで二階へ上って行った。 やさしや年もうら若く まだ初恋のまじりなく 手に手をとりて行く人よ なにを隠るるその姿  好きな歌なり。ほれぼれと涙に溺れて、私の体と心は遠い遠い地の果てにずッとあとしざりしだした。そろそろ時計のねじがゆるみ出すと、例の月はおぼろに白魚の声色屋のこまちゃくれた子供が来て、「ねえ旦那! おぼしめしで……ねえ旦那おぼしめしで……」とねだっている。  もうそんな影のうすい不具者なんか出してしまいなさい! 何だかそんな可憐(かれん)な子供達のささくれた白粉の濃い顔を見ていると、たまらない程、私も誰かにすがりつきたくなる。 (十一月×日)  奥で三度御飯を食べると、主人のきげんが悪いし、と云って客におごらせる事は大きらいだ。二時がカンバンだって云っても、遊廓(ゆうかく)がえりの客がたてこむと、夜明けまでも知らん顔をして主人はのれんを引っこめようともしない。コンクリートのゆかが、妙にビンビンして動脈がみんな凍ってしまいそうに肌が粟立(あわだ)ってくる。酸っぱい酒の匂いが臭くて焦々する。 「厭になってしまうわ。……」  初ちゃんは袖をビールでビタビタにしたのを絞りながら、呆然とつっ立っていた。 「ビール!」  もう四時も過ぎて、ほんとになつかしく、遠くの方で鶏の鳴く声がしている。新宿駅の汽車の汽笛が鳴ると、一番最後に、私の番で銀流しみたいな男がはいって来た。 「ビールだ!」  仕方なしに、私はビールを抜いて、コップになみなみとついだ。厭にトゲトゲと天井ばかりみていた男は、その一杯のビールをグイと呑み干すと、いかにも空々しく、「何だ! えびすか、気に喰わねえ。」と、捨ぜりふを残すと、いかにもあっさりと、霧の濃い鋪道(ほどう)へ出て行ってしまった。唖然(あぜん)とした私は、急にムカムカしてくると、残りのビールびんをさげて、その男の後を追って行った。銀行の横を曲ろうとしたその男の黒い影へ私は思い切りビールびんをハッシと投げつけた。 「ビールが呑みたきゃ、ほら呑まして上げるよッ。」  けたたましい音をたてて、ビールびんは、思い切りよく、こなごなにこわれて、しぶきが飛んだ。 「何を!」 「馬鹿ッ!」 「俺はテロリストだよ。」 「へえ、そんなテロリストがあるの……案外つまんないテロリストだね。」  心配して走って来たお君ちゃんや、二三人の自動車の運転手達が来ると、面白いテロリストはあわてて路地の中へ消えて行ってしまった。こんな商売なんて止めてしまいたいと思う……。それでも、北海道から来たお父さんの手紙には、今は帰る旅費もないから、少しでもよい送ってくれと云う長い手紙だ。寒さには耐えられないお父さん、どうしても四五十円は送ってあげなければならぬ。少し働いたら、私も北海道へ渡って、お父さん達といっそ行商してまわってみようかしらとも思う。おでん屋の屋台に首を突っ込んで、箸(はし)につみれを突きさした初ちゃんが店の灯を消して一生懸命茶飯をたべていた。私も興奮した後のふるえを鎮めながら、エプロンを君ちゃんにはずしてもらうと、おでんを肴(さかな)に、酒を一本つけて貰った。         * (十二月×日)  浅章はいい処だ。  浅草はいつ来てもよいところだ……。テンポの早い灯の中をグルリ、グルリ、私は放浪のカチュウシャです。長いことクリームを塗らない顔は瀬戸物のように固くなって、安酒に酔った私は誰もおそろしいものがない。ああ一人の酔いどれ女でございます。酒に酔えば泣きじょうこ、痺(しび)れて手も足もばらばらになってしまいそうなこの気持ちのすさまじさ……酒でも呑まなければあんまり世間は馬鹿らしくて、まともな顔をしては通れない。あの人が外に女が出来たと云って、それがいったい何でしょう。真実(ほんとう)は悲しいのだけれど、酒は広い世間を知らんと云う。町の灯がふっと切れて暗くなると、活動小屋の壁に歪(ゆが)んだ顔をくっつけて、荒さんだ顔を見ていると、あああすから私は勉強をしようと思う。夢の中からでも聞えて来るような小屋の中の楽隊。あんまり自分が若すぎて、私はなぜかやけくそにあいそがつきて腹をたててしまうのだ。  早く年をとって、年をとる事はいいじゃないの。酒に酔いつぶれている自分をふいと反省すると、大道の猿芝居じゃないけれど全く頬かぶりをして歩きたくなってくる。  浅草は酒を呑むによいところ。浅草は酒にさめてもよいところだ。一杯五銭の甘酒、一杯五銭のしる粉、一串(くし)二銭の焼鳥は何と肩のはらない御馳走だろう。金魚のように風に吹かれている芝居小屋の旗をみていると、その旗の中にはかつて私を愛した男の名もさらされている。わっは、わっは、あのいつもの声で私を嘲笑(ちょうしょう)している。さあ皆さん御きげんよう。何年ぶりかで見上げる夜空の寒いこと、私の肩掛は人絹がまじっているのでございます。他人が肩に手をかけたように、スイスイと肌に風が通りますのよ。 (十二月×日)  朝の寝床の中でまず煙草をくゆらす事は淋しがりやの女にとってはこの上もないなぐさめなのです。ゆらりゆらり輪を描いて浮いてゆくむらさき色のけむりは愉しい。お天陽様の光りを頭いっぱい浴びて、さて今日はいい事がありますように……。赤だの黒だの桃色だの黄いろだのの、疲れた着物を三畳の部屋いっぱいぬぎちらして、女一人のきやすさに、うつらうつら私はひだまりの亀の子のようだ。カフエーだの、牛屋だの、めんどくさい事よりも、いっそ屋台でも出しておでん屋でもしようかと思う。誰が笑おうと彼が悪口を云おうと、赤い尻からげで、あら、えっさっさだ! 一ツ屋台でも出して何とかこの年のけじめをつけてみたいものだ。コンニャク、がんもどき、竹輪につみれ、辛子のひりりッとしたのに、口にふくむような酒をつかって、青々としたほうれん草のひたしですか、元気を出しましょう。だが、あるところまで来ると私はペッチャンコに崩れてしまう。たとえそれがつまらない事であっても、そんな事の空想は、子供のようにうれしくなるものだ。  貧乏な父や母にはすがるわけにもゆかないし、と云って転々と働いたところで、月に本が一二冊買えるきりだ。わけもなく飲んで食ってそれで通ってしまう。三畳の部屋をかりて最小限度の生活はしても貯えもかぼそくなってしまった。こんなに生活方針(くらしむき)がたたなく真暗闇になると、ほんとうに泥棒にでもはいりたくなってくる。だが目が近いのでいっぺんにつかまってしまう事を思うと、ふいとおかしくなってしまって、冷たい壁に私の嗤(わら)いがはねかえる。何とかして金がほしい。私の濁った錯覚は、他愛もなく夢に溺(おぼ)れていて、夕方までぐっすり眠ってしまった。 (十二月×日)  お君さんが誘いに来て、二人は又何かいい商売をみつけようと、小さい新聞の切抜きをもって横浜行きの省線に乗った。今まで働いていたカフエーが寂(さび)れると、お君さんも一緒にそこを止めてしまって、お君さんは、長い事板橋の御亭主のとこへ帰っていたのだ。お君さんの御亭主はお君さんより三十あまりも年が上で、初めて板橋のその家へたずねて行った時、私はその男のひとをお君さんのお父さんなのかと間違えてしまっていた。お君さんの養母やお君さんの子供や、何だかごたごたしたその家庭は、めんどくさがりやの私にはちょいと判りかねる。お君さんもそんな事はだまって別に話もしない。私もそんな事を訊くのは胸が痛くなるのだ。二人共だまって、電車から降りると、青い海を見はらしながら丘へ出てみた。 「久し振りよ、海を見るのは……」 「寒いけれど、いいわね海は……」 「いいとも、こんなに男らしい海を見ていると、裸になって飛びこんでみたいわね。まるで青い色がとけてるようじゃないの。」 「ほんと! おっかないわ……」  ネクタイをひらひらさせた二人の西洋人が雁木(がんぎ)に腰をかけて波の荒い景色にみいっていた。 「ホテルってあすこよ!」  目のはやい君ちゃんがみつけたのは、白い家鴨(あひる)の小屋のような小さな酒場だった。二階の歪んだ窓には汚点(しみ)だらけな毛布が太陽にてらされている。 「かえりましょうよ!」 「ホテルってこんなの……」  朱色の着物を着た可愛らしい女が、ホテルのポーチで黒い犬をあやして一人でキャッキャッと笑っていた。 「がっかりした……」  二人共又押し沈黙って向うの寒い茫漠とした海を見ている。烏になりたい。小さいカバンでもさげて旅をするといいだろうと思う。君ちゃんの日本風なひさし髪が風に吹かれていて、雪の降る日の柳のようにいじらしく見えた。 (十二月×日) 風が鳴る白い空だ! 冬のステキに冷たい海だ 狂人だってキリキリ舞いをして 目のさめそうな大海原だ 四国まで一本筋の航路だ。 毛布が二十銭お菓子が十銭 三等客室はくたばりかけたどじょう鍋(なべ)のように ものすごいフットウだ。 しぶきだ雨のようなしぶきだ みはるかす白い空を眺め 十一銭在中の財布を握っていた。 ああバットでも吸いたい オオ! と叫んでも 風が吹き消して行くよ。 白い大空に 私に酢を呑ませた男の顔が あんなに大きく、あんなに大きく ああやっぱり淋しい一人旅だ!  腹の底をゆすぶるように、遠くで蒸汽の音が鳴っている。鉛色によどんだ小さな渦巻が幾つか海のあなたに一ツ一ツ消えて行って、唸(うな)りをふくんだ冷たい十二月の風が、乱れた私の銀杏返しの鬢(びん)を頬っぺたにくっつけるように吹いてゆく。八ツ口に両手を入れて、じっと柔かい自分の乳房をおさえていると、冷たい乳首の感触が、わけもなく甘酸っぱく涙をさそってくる。――ああ、何もかもに負けてしまった。東京を遠く離れて、青い海の上をつっぱしっていると、色々に交渉のあった男や女の顔が、一ツ一ツ白い雲の間からもやもやと覗いて来るようだ。  あんまり昨日の空が青かったので、久し振りに、古里が恋しく、私は無理矢理に汽車に乗ってしまった。そうして今朝はもう鳴門(なると)の沖なのだ。 「お客さん! 御飯ぞなッ!」  誰もいない夜明けのデッキの上に、ささけた私の空想はやっぱり古里へ背いて都へ走っている。旅の古里ゆえ、別に錦を飾って帰る必要もないのだけれども、なぜか侘しい気持ちがいっぱいだった。穴倉のように暗い三等船室に帰って、自分の毛布の上に坐っていると丹塗(にぬ)りのはげた膳の上にはヒジキの煮たのや味噌汁があじきなく並んでいた。薄暗い燈火の下には大勢の旅役者やおへんろさんや、子供を連れた漁師の上さんの中に混って、私も何だか愁々として旅心を感じている。私が銀杏返しに結っているので、「どこからおいでました?」と尋ねるお婆さんもあれば「どこまで行きゃはりますウ?」と問う若い男もあった。二ツ位の赤ん坊に添い寝をしていた若い母親が、小さい声で旅の古里でかつて聞いた事のある子守唄をうたっていた。 ねんねころ市 おやすみなんしょ 朝もとうからおきなされ よいの浜風ア身にしみますで 夜サは早よからおやすみよ。  あの濁った都会の片隅で疲れているよりも、こんなにさっぱりした海の上で、自由にのびのびと息を吸える事は、ああやっぱり生きている事もいいものだと思う。
林芙美子 新版放浪記 第一部
『私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない…』で始まる新版放浪記、大正・昭和初期にかけての林 芙美子はどのように生きてきたのでしょうか。ご一緒にお楽しみいただければ幸いです。なお、文中には今日では不適切と思われる表現が含まれておりますが、そのまま読ませていただいておりますことをご了承くださいませ。  えぷろん