
きょうはひな祭りです。もとは、宮中や上流社会で行われていた陰暦三月最初の巳(み)の日に行った上巳(じょうし)の祓えに関連したものだと言われています。穢れを祓う行事だったんですね。それが江戸時代以降、女児の健康と成長を祈る行事になったものです。
そうやって少しずつ大人になってくると、急に「ジリツ」しなさいなんて言われる。「ジリツ」には、二つの書き方があって、一つは「自立」。これは、「他の助けや支配なしに自分一人の力だけで物事を行うこと。ひとりだち。独立」という意味。「親元を離れて自立する」という具合に使います。
もう一つが「自律」。「他からの支配や助力を受けず、自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制すること」を言います。「学問の自律性」なんて使い方をします。哲学的には、「Autonomie」と言うカント倫理学の中心概念です。「自己の欲望や他者の命令に依存せず、自らの意志で客観的な道徳法則を立ててこれに従うこと」です。
特に自分で立つ「自立」は、自分でお金を稼いで、独り立ちする手立てだと思ってしまいます。早く一人前の大人になれ、とか言われますよね。
自分を律する「自律」は、「自己の欲望や他者の命令に依存せず」とあります。ここに「依存せず」とあるのですが、依存は「他のものにたよって成立・存在すること」です。
どうみてもマイナスの要素をいう言葉にしか思えません。「自己の欲望や他者の命令に依存せず」というのは、理解できるけれど、世の中は「依存」なしには成立していないんです。例えば、このことばランドも、僕は江川さんのMCに頼ることで成立しています。これは江川さんも同じだと思うんです。高層マンションの30階に住んでいる人は、エレベーターに依存しないと部屋にたどり着けない。会社でも、全てを1人でできるわけではない。
自分で立つ自立も、自分で律する自立も、周りの環境に頼って成立していることになる。
「他力本願」っていう言葉、ご存じですか? よく「他力本願から脱して、自立しよう」なんていう風に使われるのですが。実は「他力本願」の「他力」は「仏・菩薩の加護のこと。自己の力で悟るのではなく、仏や菩薩の力を借りること。多くは浄土教で、衆生を極楽へ救済する阿弥陀仏の本願の力のこと」を言うんです。だから「他力本願から脱して、自立しよう」という使い方は、本来の意味から外れているんです。
つまり、これが「依存」だと思うんです。自立のために、人を頼る。積極的に依存する。何でも1人でやる必要はない。そうやって会社も社会も成り立っていると言うことを考えれば、少しだけ気が楽になるんじゃないでしょうか。