
ミュージシャンの小沢健二さんについて。前回はぷにょさんの個人的なお話しをふんだんに聞きましたので、今回はジャッキーさんの個人的なお話しを。今回もとても、面白いです。
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【目次】
○前回のこと
・小沢健二さんについて熱くなってしまう二人(いつもあんなにクールな我々が?)
○ジャッキーさんの小沢さんとの出会い
・兄が渋谷系好きだった(SUN/Kakkeという会社をやっているので調べてください、超面白いYouTubeもやっています)
・最初はテレビ(HEY!HEY!HEY!かMステ)で見て好きになった
・(ダイエーでもユニーでもどっちでもいいわ)
・CDは兄が持っていたので、自分で買ったのは中学になってから
・記憶が混濁している(ユニーで買ったのはカセットテープの『LIFE』を買ったところで、CDはブックオフだった気がします)
・すごく辛いことがあって外を歩いていた夏の夜、ふと口をついて出た『愛し愛されて生きるのさ』、そのまま『おやすみなさい、仔猫ちゃん』まで(つまりアルバム全部)通して歌い切れてしまった そこで「これって……自分はこの人が好きなんだ」と気づいた
・インターネットで小沢さんについて調べ(当時はそういうホームページがふんだんにあった)るなか、「LARK SIDE OF THE MOON」と「dolis party」というホームページに出合う。この管理人さん二人とは後に実際会うことになる(個人的にはすごいこと)
・それが「小沢健二ともだち」を探し続ける人生のはじまり
・CDや雑誌などを買い求めはじめる
・『犬』のライナーも暗誦できた(今もまあまあできます)
・高校の頃の日記には引用がたくさん どんどんインストールされていく
・しかしちょっと上の世代のものなので、まわりに好きな人が誰もいない
・むしろ若い人たちのほうがファン多い?
○二十歳で訪れた「小沢健二ファンの集う店」(!?)
・mixiで渋谷系好きの人と知り合って新宿の「ゴールデン街」に連れていってもらい、「世の中には(東京には?)こんなに渋谷系・小沢健二ファンというのがいるのか!」と衝撃を受ける
・「おい、小鳥」とは言わない(あたりまえ)
・「若いのに」と大型新人扱い
・カタコンベ信仰やカクレキリシタンのような。「ここへならベレー帽かぶって行ける」というような場所だった
・2005年『うさぎ!』、2006年『毎日の環境学』、2007年頃『おばさんたちが案内する未来の世界』とリアルタイムに併走
・自分にとってはタイミングがよかった
・13年ぶりの公式ライブ「ひふみよ」は2010年、そこからコンスタントに大きな活動を続けていく
・3ヶ月に1回供給(笑)される『うさぎ!』を毎回みっちりと読み込む日々
・ジャッキーさんは『うさぎ!』等の作品に違和感や嫌悪感はなかった
・『天使たちのシーン』や『ローラースケート・パーク』で歌われていることと同じと感じていた ぷにょさん「そうだよね!」
・小沢さんの考え方自体が好きなんだなと思った
○人生は生きるに値する
・『おばさんたちが案内する未来の世界』という映画
・多くの人は知らないし、知っていても観た人は少ない
・すごく大きな影響を受けた、「あてられた」と言ってもいい そこから「ものを考える」ということが加速していった、広がっていった
・自分の人生はここで終わり(「あがり」?)
・ミーハー人生はもう終わり!
・人生っていうのは報われるものである、とわかったことで、区切りができた気がする
・自分の人生を幸せにすることは可能である
・中学生の時に泣きながら『LIFE』歌っていた混沌の時代から、『うさぎ!』や『おばさん~』を通じて価値観がまとまっていった
・自分が好きなものがまとまっていって、言葉になっていった 岡田淳さんや、橋本治さん、奥井亜紀さんなども一本にまとまっていった
・ばらばらだった価値観がまとまり、「自分が何を考えているのか」がわかってきて、自信のようなものもついてきたから、学校の先生をやることもできた
・「ここから始められるぞ」「ここからつくっていけるんだ」という自信
○その後、国語科教員としてのジャッキーさん
・23歳くらいのときに生徒たちに配った長文プリントも、今読み返してもちゃんとまとまっている(それ以前はそんなもの書けなかった)
・すでに学級崩壊していたクラスを中途で引き継ぎ、「まずは仲良くなること」と「伝わらなくても理屈を説き続ける」ことを徹底した その一環として長文を書いて配っていた
・「要領よくやれ!」という題の懐かしき名文(ジャッキーさんのホームページで読めます、検索してみてください)
・(この文章の内容についてぷにょさんに褒めてもらえてジャッキーさんはとても喜んでいる)
・それをちゃんと最後まで読んだ人が何割いたのかはわからないが、刺さる人にはとても深く突き刺さった ただし読まれなくても、「なんかがんばってるな、気合い入ってるな」と思ってもらえるだけで意味はある
○それからどのように育っていくことができたのか
・一本の筋の通った物語もつくることができるようになった それによって『たたかえっ!憲法9条ちゃん』というむちゃくちゃふざけたお話ができた
・ばらばらだったものが一つにまとまる……番外編(#53~56で話した「推し」の話にもつながるかも?
・最初は「まねをする」だが、ずっとそれではいけない 「守破離」でいうと、「守」から「破」に進むべき時期
・「小沢健二ものまね芸人」ではなく、オリジナルのことをしなければならない そのためにわけのわからないふざけた小説も書いてみた
・世の中に一つもない、まったく新しい存在のお店をつくるようにもなってゆく
・夜学バーもまた次の段階へ?
○ちょっと休憩
・森永ダースを食べながらぼんやりと
○守破離としての夜学バー
・中3から22歳くらいまでは人生の「グル」のような、導いてくれる人というイメージだったけど、そこから自立したような感覚がある
・信者は信者でありつつ、一種の友達であったりもして、ちょっと茶化すようなことだってあっていい
・自分の道も行かねばならない
・夜学バーは「魔法的」というライブにかなり影響を受けている たとえば「意思は言葉を変え 言葉は都市を変えてゆく」
・最初のうちは「小沢健二の歌詞精読会」を催し、小沢さんファンの耳目を集め、ある種「質の良い」お客さんに気づいてもらおうとした それは小沢健二さんを好きな人への信頼でもある
・素敵な人たちに出会うため
・「小沢健二さん(を好きな人)の感覚を裏切らない自信があるお店」←大きく出たね。。。
○ぷにょさんにとっても
・2022年に初めてライブに行き(初消費?)、一つの区切りがついた
○「一般の人と有名な人」という分け方について
・なぜそこが分けられなければならないのか
・叩かれるから言わないようにしていたけど、最近は「なんかおかしいな」と思ったりもする
・駒場900番講堂講義の時の話
・一般人だから「これはやっちゃいけない」と怯えていた
・社交界のウチとソト
・無精なのか臆病なのか
・どんなものであれ褒めてもらえると嬉しいので、褒めなきゃな、と思っている うざいわけがない 絶対に少しはうれしがられるはず 「いつも思いっきり伝えてなくちゃ」(『戦場のボーイズ・ライフ』)
・22歳の時には言葉にできなかったが、いまはそれができるようになっているはずなので伝えたい
・岡田淳さんにも言葉を伝えなければいけない……
・どんなささやかにでも、伝えることは大事……
・自信を持って、勇気を持って、何らかの扉を開けることは無駄じゃない(喫茶店について語った回でも言っていたこと)
・汚い文字でも、一言でも二言でも、言わなきゃな、と思っている
・自分の好きなように、相手にも負担のないように……
・橋本治さんにファンレター書けばよかった……(サイン会には行きました)
○次回予告
・『うさぎ!』とか東大講義についても話したい
・話してほしいテーマ募集してま~す
・お店に来て語っていただいても大歓迎!!
・Podcastまあまあの人が聴いてくれているはずなのに反応が全然ない! うれしくないわけがないのでよろしければ褒めてくださいませ~