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阿部慧太の聖書と説教と日常と
阿部慧太
238 episodes
5 days ago
イエス・キリストの伝道師である阿部慧太が、聖書について、説教について、また、聖書と私たちの日常との関わりについて、考えていることを発信します。教会でのメッセージもその都度アップしています。 ローズンゲンについては、別なチャンネルを作ったので、よろしければそちらをお聞きください。 https://podcasts.apple.com/us/podcast/ゆるくローズンゲン/id1809361960
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イエス・キリストの伝道師である阿部慧太が、聖書について、説教について、また、聖書と私たちの日常との関わりについて、考えていることを発信します。教会でのメッセージもその都度アップしています。 ローズンゲンについては、別なチャンネルを作ったので、よろしければそちらをお聞きください。 https://podcasts.apple.com/us/podcast/ゆるくローズンゲン/id1809361960
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【創世記講解説教43】罪さえも主は用いられる 創世記27:30−27:40
阿部慧太の聖書と説教と日常と
42 minutes 22 seconds
2 months ago
【創世記講解説教43】罪さえも主は用いられる 創世記27:30−27:40

2025年9月7日気仙沼聖書バプテスト教会で行ったメッセージです。創世記27:30−40から、人間の罪さえさえも用いてご自身の計画を実行させる神様の姿を見ていきます。


☆メッセージ内で言及した絵本です。

くれよんのくろくん

https://www.amazon.co.jp/dp/4494008923?


☆文字起こしです(Geminiを使用)

https://docs.google.com/document/d/181S6YTCvMF7Mr_KEL4Y8flyuUvDQlhMvqEzfjDbud8Y/edit?usp=sharing


☆文字起こしの英語の翻訳です(Geminiを使用)

https://docs.google.com/document/d/1k1pyzoNJYD3AK6eXfBx76K5IhAMTN02A_X8He_HE45Q/edit?usp=sharing


****以下はGoogle notebooklmによる要約です****

この動画は、主に神様が人間の罪さえも用いてご自身の計画を実行されるというテーマで、創世記27章のイサク、リベカ、ヤコブ、エサウの物語を中心に解説しています。

まず、冒頭の祈りで始まり、神の恵みへの感謝と、神の御心を知りたいという願いが語られます。

創世記27章の内容に入る前に、以前の話の続きとして、イサク、リベカ、エサウ、ヤコブの家族が分裂し、イサクとエサウ、リベカとヤコブという派閥が争っていたことが触れられます。ヤコブがエサウに変装して父イサクを欺き、祝福を得ようとする場面が描かれます。

イサクはヤコブの言葉に疑問を抱きながらも、それ以上深入りせず、祝福を進めてしまいます。これは、イサクが肉体的に目がかすんでいただけでなく、霊的にも盲目であったことが示唆されています。イサクは神の御心(兄が弟に仕えること)よりも、自身の好き嫌いを優先していたと考えられています。ヤコブが最終的な確認に対し「そうです」と答える場面では、原文の「アニー」(私)から、曖牲的な返答であった可能性も指摘されています。この出来事は、家族関係が健全であれば起こり得なかった誤りであり、家族の絆の重要性が強調されています。

ヤコブは、天の露と地の肥沃な穀物、新しいぶどうという物質的な豊かさ、そして諸国の民や兄弟たちからの支配という祝福を受けます。その後、エサウが戻ってきて祝福を求めると、イサクは激しく身震いし、ヤコブに与えてしまった祝福を取り消せないことを悟ります。この身震いは、自身の過ちへの恐れ、神の働きへの畏怖、そして神の御心が自身の行動を逆転させて成就されたことへの恐れが含まれていると解釈されています。エサウは自身の「長子の権利を奪われた」と嘆きますが、実際にはエサウ自身がその権利を軽視し手放していました。エサウに与えられた祝福はヤコブとは逆で、地の肥沃と天の露がなく、剣によって生き、弟に仕えるというものでした。しかし、後にこのくびきを捨てる予言も含まれており、第二列王記8章でエドムがユダの支配から脱したことで成就したと説明されています。

神の計画は実現するものの、それぞれの罪には報いがあったことが強調されます。ヤコブは後にラバンに騙され、ラケルではなくレアと結婚することになります。リベカも、この計画を実行した後、ヤコブに二度と会うことはありませんでした。

この「神が人間の罪をも用いてご自身の計画を実行される」という最も顕著な例として、イエス・キリストの十字架が挙げられています。群衆の態度の変化、ピラトの自己保身、弟子たちの逃亡、ユダヤ教指導者たちの地位防衛といった人間の罪や過ちが重なる中で、神の救いの計画が成就されたのです。イエス様は、聖書の預言が成就するためなら、自らを救うための介入をしない決断をしました。

「クレヨンのくろくん」という絵本の例を挙げ、人間が自由に、時に罪のままに行動し、悲惨な状況になったとしても、神様はそれを良いものに変えてくださるお方であると説明します。

このことから、私たちが学ぶべきことは二つあります。

  1. どんな決断をしても最終的には神様が良い方向に用いてくださるので、すべて大丈夫であるという信頼です。しかし、決断の際には神に喜ばれることを考えるべきです。

  2. 過去に犯した過ちに対しては悔い改めるべきであるということです。神様はすべてを良いようにしてくださいますが、罪には報いがあります。私たちは過去の過ちを繰り返さないように悔い改め、神の御心にかなう選択をしていく必要があると締めくくられています。

最後に、神様の恵みと導きを求める祈りでメッセージは結ばれます。


阿部慧太の聖書と説教と日常と
イエス・キリストの伝道師である阿部慧太が、聖書について、説教について、また、聖書と私たちの日常との関わりについて、考えていることを発信します。教会でのメッセージもその都度アップしています。 ローズンゲンについては、別なチャンネルを作ったので、よろしければそちらをお聞きください。 https://podcasts.apple.com/us/podcast/ゆるくローズンゲン/id1809361960