
今回は大正7年に盛岡高等農林学校を卒業した後の話です。研究生として更に2年間学校に在籍した賢治でしたが、いろいろあってこの頃遂に童話を書き始めます。ここから今でも読み継がれている有名な作品たちが生まれるわけですね〜。いいですね〜。「双子の星」と「蜘蛛となめくじと狸」、ぜひ読んでみてください〜。
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【内容】
0:00 問題「賢治の得意なスポーツは何でしょう?」
7:00 今回は ”賢治と童話” です。前回はアザリアの話で終わりました。
8:50 大正7年(1918年)に賢治は盛岡高等農林学校卒業後、研究生として更に2年間在籍した。農学科農芸化学で土壌の分析・調査とかしていた。
10:24 でも実は賢治は研究生になりたくなかった。ただ、父は研究生となって徴兵を逃れて欲しかった。その意見のぶつかり合い。賢治としては、自分も国の一員なんだから、国のために兵役をまっとうしたいと考えていた。
13:38 りょうの疑問「この頃賢治は仏教を信奉していた?」⇨元々家族の影響から仏教に馴染みがあったし、18歳には法華経と出会っていた。という事で、この頃は22歳だから法華経を信奉していた時でしょう。
15:06 父の反対を押し切って自ら徴兵検査を受けるも、第二乙種となり、結果徴兵されず。
15:59 結果的にそのまま研究生になったんだけど、6月に肋膜炎となり1ヶ月静養をすることになり...この家で静養しているタイミングで童話を書き始めた。しかも結局その後、研究生には戻らず。
17:42 この時に賢治が初めて書いた作品は「蜘蛛となめくじと狸」と「双子の星」
19:00 なぜ童話を書き始めたのか明確な理由は分からないが、この頃日本は海外の翻訳童話が入ってきて童話ブームだった事が影響したのでは。鈴木三重吉の『赤い鳥』が刊行されたのもちょうどこの頃。
20:00 りょうの感想:りょうのイメージでは、賢治は「周りは兵役を全うしているんだから、自分は研究生として国のために頑張る!」と考えると思っていた。だからそのタイミングで童話を書き始めたというのが意外だった。
24:15 元々、関豊太郎教授と馬が合わなかった、みたいな噂もある。または、賢治の精神がすぐれない時期だったという説もある。まぁなんか色々あったんでしょう。
27:41 「双子の星」の記憶が曖昧な2人。「蜘蛛となめくじと狸」は22歳の賢治っぽい。ぜひ読んでみてください。
29:24 次回は "東京ライフと宗教" の話です。ありがとうございましたモリブデン。
【参考にした本】
『図説宮澤賢治』 天沢退二郎/栗原敦/杉浦静 ⇨ amazon
『宮沢賢治のちから』 山下聖美 ⇨ amazon
『宮沢賢治ーおれはひとりの修羅なのだ』(別冊太陽) ⇨ amazon
『宮沢賢治(おもしろくてやくにたつ子どもの伝記)』ポプラ社 ⇨ amazon
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