
コリント人への手紙第一12章12節
「ちょうど、からだが一つでも、多くの部分があり、からだの部分が多くても、一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。」
人間のからだは頭のてっぺんから足のつま先まで、数多くの器官や臓器などから成り立っています。生まれたばかりの赤ちゃんも、大人と全く同じような部分部分を持っています。そしてそれら一つ一つには役割があり、他の器官ができない機能を果たしています。
以前、NHKスペシャルで、「人体」という番組を、シリーズで放送していました。最新科学の研究によって、人体はそれまで考えられてきた以上にはるかに驚くべき機能を持ち、極めて緻密な造りになっているということを明らかにしていました。例えば、「体中の臓器がまるで会話をするように、互いに情報をやりとりすることで、私たちのからだは成り立っている」ということや、「体内の赤ちゃんがメッセージ物質を使って、母親とまるで会話をするように情報をやり取りしている」ということなどが解説されていました。人間のからだはただ生まれ、成長し、老化して死んでゆくだけの存在ではなく、はるかにダイナミックな小宇宙ともいうべき奇跡的な存在なのです。最新科学がこのように、生命の神秘を明らかにしてくれることはとても嬉しいことです。私はこのようなことを知ることで、ますます神の創造の業と神の愛を感じ、神の御名を賛美するものです。
聖書は、第一コリント12章の中で、教会をキリストのからだにたとえています。教会というのは建物ではなく、私たち一人一人を指しています。私たち一人一人がからだを構成する構成要因ということです。この教会が健康を保ち、本来の機能を果たすために大切なことが幾つかあります。
まず第一に、頭であるイエス・キリストに従うということです。頭はいわばコントロールタワーです。全体の行動を決めたり制御したりする機能を持っています。脳が発信する信号通りに各部分が動かなければ、その体は機能不全という問題を起こしていることになります。
2番目に、各部分がそれぞれの役割を認識し、与えられた役目を果たすということです。今私は自分で書いたメッセージの原稿を、目で追いながら、口で読み上げています。目と口がそれぞれの役割を果たしてくれるおかげで、一つの作業ができるのです。
3番目に、それぞれの部分はお互いに労わり合い、配慮し合う必要があるということです。先ほど、体中の臓器が、互いに情報のやり取りをしている、という最新科学が明らかにした人体についてお話ししましたが、それはまさに私たちがお互いを必要とし、連係プレーをしながら生きていく存在だということです。
4番目に、必要のない部分は一つもないということです。第一コリント12章22節には、「からだの中でほかより弱く見える部分が、かえってなくてはならないのです」と記され、役に立たなそうな部分こそ実は必要であることを教えています。教会にいなくてもいい人は誰一人いないのです。
ここ数年、コロナの影響もあって、オンラインによる礼拝や聖書の勉強会の機会が増えたことは神からの大きな恵みです。とは言うものの、可能な限り、キリストのからだである教会に直接繋がり、イエスを中心とした交わりの中で、多くのことを分かち合い、神を礼拝することを忘れないようにしたいものです。