
3分で分かる!ような聖書の話も素晴らしいですが、3分では分からない聖書の魅力を伝えたいと思います。「聖書だけ読んでいても聖書は分からない」ということを本放送ではお伝えしていきます。
「聖書観」はこの2000年の神学の歴史のなかで様々に変遷してきました。「逐語霊感説」やそこから導出された「ディスペンセーショナリズム」は近代主義に強く影響を受けたきわめて米国的な聖書観で、時間的にも空間的にも普遍性のあるものではありませんし、福音派の伝統ですらありません(『聖書信仰』藤本満著)。にもかかわらず逐語霊感説は「排他的な自己絶対化」に陥りやすく、自らのみが正しいと絶対化する傾向にあり、それは聖書を本当の意味で味わう豊かさを奪うと私(陣内)は考えます。さらには「字義的な」と主張する恣意的な聖書引用による性的マイノリティ差別や地球温暖化対策への消極性やパレスチナの民族虐殺の正当化など、実際に弊害もあります。
本コーナーでは様々な角度から聖書を把握する「聖書のメタ的学びの豊かさ」を様々な書籍を紹介することをとおして分かち合い「神の言葉」である聖書から多義的な魅力と「愛なる神」の自己啓示の豊かさを語っていきたいと思います。疑問、質問、ご意見は以下のフォームからお寄せください。
https://forms.gle/a3zFHpSpnTQeCG6d9
*本放送で紹介する聖書観はFVI 声なき者の友の輪の公式見解ではなく陣内個人の見解を紹介するものです。FVI 声なき者の友の輪には「言語霊感説」に近い聖書観を含む多様な聖書観を持つカタリストが共に働いており、それらが対話する多様性と力動性(ダイナミズム)こそが大切だと考えています。大切なのは「文字」を絶対化し崇拝することでなく神の霊が御言葉を通して世界と私たちに働くことだと私たちは考えています。
「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者となる資格です。文字は殺し、御霊は生かすからです。」第二コリント3章6節