
「劇場版 忍たま乱太郎 - ドクタケ忍者隊最強の軍師」
一人で観るのは少し照れくさかった。けれどスクリーンの明かりが灯ると、幼い頃の記憶が胸をよぎる。『劇場版 忍たま乱太郎』は、ノスタルジアの洪水に溺れるような体験だった。
忍術学園の生徒たちが織り成す小さな冒険は、ほろ苦い大人の目から見ると少々物足りない。劇場版としてもう一歩踏み込んでほしい場面もあったが、それでもキャラクターたちのひたむきさに何度か心が揺れた。感動する場面では、不意に目頭が熱くなった。6年生たちの戦いぶりは、昔の『忍たま』とはまた違った味があって、子供向けという枠を越えた成熟を感じさせた。
「もっと大胆に」と内心願いつつも、最後には忍たまたちが笑顔で締めくくる。これが、彼らの魅力なのだ。
でも、ちょっと物足りない内容。
「ドリーム・シナリオ」
ニコラス・ケイジ。彼の名を聞けば、何かが起こる。『ドリーム・シナリオ』はその期待を裏切らなかった。ある日突然、誰もが彼を夢に見るようになる。そのアイデアは、まるでトリックアートのように心を惑わせる。
スクリーンに映るケイジの姿は、どこか憂いを帯びていた。夢と現実が曖昧に交錯する中、物語はどんどん奇妙な方向へと進む。初めはその不条理な展開に引き込まれたが、後半に入ると説明が過剰に思えたのも確かだ。
それでも、この作品が放つエネルギーには抗えない。夢の中という舞台がもたらす不安定さ、そしてケイジの演技が醸し出す悲哀は、まさに唯一無二の体験だった。ネットフリックスの『ブラックミラー』のような作品といえばそう。それで十分なのかもしれない。
「どうすればよかったか」
ドキュメンタリーは、そのリアルさゆえに観る者の心をえぐる。『どうすればよかったか』は、まさにその典型だった。この作品には作り物のドラマでは得られない重みがある。
監督自身の家族を描いた20年に及ぶ記録は、映像というよりも記憶そのものだった。統合失調症を抱える姉と、その家族が直面する葛藤。両親が医師でありながら、時に合理的ではない判断を下す姿には、人間の持つ矛盾が詰まっていた。
最も印象的だったのは、監督自身の声だ。淡々としていながら、その裏には熱い感情が滲んでいた。「どうすればよかったか」—その問いかけは、観客全員への挑戦状のようでもあった。カメラが捉えた一瞬一瞬が、時に痛烈な問いを突きつける。
この作品を観た帰り道、街灯の下でふと空を見上げた。家族とは何だろうと考えさせられる時間だった。