
このスタイル俺に合わねえなとかって思いながらも、でも、どういうのが1番いいかなと思ったら、やっぱりこうやって日々の気づきをシェアしていくと、感覚的に腑に落としていくんじゃないかなと思ったりしてて。まあ、これからどうやって伝えていこうかっていうのはちょっと悩んでいるので、いいアイデアだったら教えてください。
今日は終着の話したいなと思いますし、ま、今後も、こうやって、思いつくというか、気づきがあるときに、どんどんシェアしたしていくスタイルを当分やってみようかなと思っていますが、また変わっていくと思います。執着ね。執着ってなんなのかって言うと、ま、これは仏教由来の言葉ですね。終弱と仏教では言います。
仏教ではですね、お釈迦様が悟りを開く、つまり、悩みや苦しみから逃れるためにどうしたらいいかっていうことを教えてくれる。ま、学問みたいなものなんですね。で、その、しゅう、宗教なし、宗教職がありそうなんだけど、意外と、どっちかっていうと、すごくロジカルな、科学的な、あのお話も多かったりするんだよね。
で、その、執着さえなくなれば、悩み、苦しみがなくなるっていうのは、ま、いろんな分野で言われていますと。で、なぜなら、その、執着を持つ、自我が芽生えて、執着を持つから、それが苦しみだ。シンプルっていうのは、もともと持ってる本質的な、あー、心はすごくピュアです。そういった、うん、こう、こうなりたい、こうでなければならないね、こうした方がいいみたいなものはなくて、今を楽しむ力があるって子供見てたらわかるよね。
うちの子も上がまだ小2なのでね、ほんとに毎日ピュアにただただ楽しんでるっていう。そこで親がいろんな概念をね、こうインストールしようとするから、時間が強くなってって、そこに執着が芽生えると。例えば、この前のパターゴルフの話、話もそうだけど、パターゴルフを楽しんでるのに、親がうまくやる方法みたいのを教え出すわけですよ。
そうすると、ほんとは楽しんでるということが素晴らしいことなのに、なんかうまくやらなきゃとか、社会の中でどう立ち振る舞わなきゃとかね、色々こう、概念がついてくるわけですよ。それが別に悪いわけじゃないけど、逆にそれが、うーん、執着となっていく。こうでなければならないってなった時に、そうでない自分を責めたり、そうでない自分と比較して、自分をまひしらしたりね。
あとは、こうしたいって強く願えば願うほど、そうなってない自分がここにいることに気づいて、そこのギャップと苦しむっていう。大体そうだよね。今できてない自分と、何かこう、執着のある理想の自分を比較したりするから悩むよね。
で、だから、こうやって、あんまり未来のことをね、強くこうい意識しすぎると、それができていない自分とのギャップに苦しむっていうからくりだよね。逆に、今あるものを失う怖さ、それは、今あるものに執着してんだよね。例えば、お金とかもそう。失う怖さみたいなものがあるとすると、それがなくなっていくんじゃないかっていう恐れとか、不安とか、そういった執着から来る、ま、ネガティブなフィーリングがあるということで、じゃあ、どうやったら執着は手離れていくの。って言うんだけどさ、これ、あの、完全に手放れるっていうのは、諦めた方がいいよねえー。なぜなら、そのお坊さんたちもさ、山にこもって何年も修行して、それでもね、執着ってのは手放れないっていういうわけなんですよ。だから、執着を完全になくそうなんて思わなくてよくて。でだ、なぜなら、執着が手離れないことが、また執着になってくるからね。
これ、瞑想してるとよくわかる。これ、無になろうと思うんだけど、なれないことに対して苛立ったり、なれ無になれないことになることに執着すると、慣れない自分がいて、そこに苦しむみたいなことが。怒り出すのと一緒ね。でも、執着っていうのは、知っていると非常にあのおもお面白くて、えー効果的面なんだよね。だから、執着を弱めるぐらいのイメージがいいと思う。執着っていうのは弱めていくことができる。その執着には価値がないことに気付くから。本来それ、自分が欲しいと、どうしても手に入れたいとか、こうありたいとか、こうすべきって思ってるものには、本当は価値なんかないわけなんですよ。なぜなら、価値は今ここの自分にすべてあるからねっていう。これはちょっとずつ踏み落とさないと意味がわからないと思うけれども、このお今こうしたい、ああしたいと思っているそのものに価値があると思ってるのは、自分の価値観がそうさせてるだけだからね。それは子供の頃に、えー、教え込まれた、ま、ある種、洗脳された、価値があると信じてしまってるだけのもの。それは思い込みなんだよね。それに、本当の意味で気づいていくと、その執着とは弱まっていくっていう。ま、承認欲求なんかもそうだよね。こうこうしてほしい、こうされたいとか、認めてほしいとか、認められたいとか。あ、そういったものも、本当にフェイクなノイズでしかないという、フェイクな。うー、価値のあると信じちゃってるものね。そういうのも気づいて、別に無くす必要も否定する必要もないけど、弱めていこうぐらいの気持ちで考えられるといいよね。そこに本当に、本当にそうなのか。そこに本当に価値があるのかな。って思った時に、そうじゃないことに気付いていくっていう。そうやって執着っていうのは全部手放そうとすすると、手放せない自分に苦しむから、 あーそういったものがあるんだねと、そういうのを弱めていくことができるかもしれないな、なんていう気持ちで。
えー、ざっくりと捉えるのが非常にいいんじゃないかなと思っていますし、執着があるまま、今、日々をご機嫌に幸せに暮らしたり、自分が素晴らしいと思うことも可能ですから。ということで、今日は終着の話でした。またね。えー定期的にお伝えしていきたいと思います。今日もね、イメージしてみて。