
2025年12月14日 待降節第3主日
説教題:声なき声を受け止めるために
聖書: マタイによる福音書 1:1-17、サムエル記 下 11:1-27、詩編 56、ヘブライ人への手紙 5:7–10
説教者:稲葉基嗣
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イエス・キリストの系図を眺めてみると、実にたくさんの名前が並んでいます。この系図にはたった一人だけ、きちんと名前が紹介されていない人がいます。そこには「ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ」と書かれています。彼女の名前がバト・シェバであることは、旧約聖書の物語に馴染みのあるユダヤの人々にとっては、実に明白なことだったと思います。そこには、ダビデの大きな過ちが記錄されています。ダビデはウリヤの妻であるバト・シェバを寝取ります。ダビデはそんな自分の罪を覆い隠すために、バト・シェバの夫のウリヤが戦場で命を落とすように働きかけました。マタイはバト・シェバの名前のみを「ウリヤの妻」と書いてあえて隠すことによって、このようなバト・シェバの物語をより目立たせています。物語において、彼女はとても受動的です。そんな彼女とは対極的に、ダビデからバト・シェバに向けられた行動が、物語の中では矢継ぎ早に紹介されています。男性優位の社会において、彼女は王をはじめ、男性たちの前で力を持ちません。彼女にはダビデの呼び出しに応じるしか選択肢がありませんでした。現代的に表現するならば、この出来事は、バト・シェバがダビデから性暴力の被害を受けたとも表現できるでしょう。彼女は受動的に描かれているだけでなく、声も奪われています。彼女の発言は、「私は子を宿しました」のみです。被害者である、バト・シェバがどれほど言葉を奪われているのか。彼女がどれほど主体性を、自分の意思で決定し、行動する力を奪われているのか。そのような暴力の被害者であるバト・シェバの物語としても読めてきます。彼女の夫である、ウリヤもまた、ダビデの暴力の前に、声を奪われた被害者です。バト・シェバやウリヤのように、自分よりも大きな力による暴力に晒される。このような被害者の声なき声は、この世界のあらゆるところで聞こえます。キリストの系図に記された「ウリヤの妻」という言葉はまるで、私たちが生きる世界のこのような現実を指摘しているかのようです。もちろん、キリストの系図でバト・シェバの名前が伏せられているのは、私たちの生きるこの世界の現実を指摘するためだけではありません。あらゆる暴力によって声なき声を生み出してしまっている、私たちの世界に平和をもたらす方が、訪れることを指し示すためです。イエスさまは、私たちの声に耳を傾け、声なき声さえも受け止めてくださる方です。この暴力の連鎖を止めるために、イエスさまは来てくださいました。