
2026年1月11日 公現後第1主日
説教題:希望なき場所に訪れる友
聖書: ヨハネによる福音書 11:1–16、ヨブ記 2:11–13、詩編 133、ヤコブの手紙 2:21–23
説教者:稲葉基嗣
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イエスさまにはベタニアに、マリアとマルタ、ラザロという友人たちがいました。ある時、イエスさまはラザロが病気であるという知らせを受けましたが、イエスさまはベタニアへすぐに旅立たず、同じところにとどまったままでした。でも、その2日後に、イエスさまは弟子たちにラザロのもとへ行くと言い始めます。イエスさまは思いもよらぬことを口にしました。「ラザロは死んだのだ」(15節)。この物語は、病気で亡くなったラザロをイエスさまが生き返らせて終わります。ラザロのもとへ行って、彼を生き返らせて、命を与えることがイエスさまの心のうちにあったのでしょう。でも、それなのになぜイエスさまは、すぐさまラザロを失って悲しむマリアやマルタもとへ出向くことを選ばなかったのでしょうか。それは、ラザロの家族や友人たち、またベタニアの村の人たちがラザロの死をきちんと受け止める時間を作るためだったのではないでしょうか。イエスさまは、マルタやマリア、ラザロの友人たちやベタニアの人たちがラザロの死を悲しむ時間を奪いたくなかったのかもしれません。出発を2日間遅らせることによって、誰もが逃れることができない死を突きつけられる期間をイエスさまは延ばしたといえます。でも、そんな死に対する恐れや、死の前に対する無力感を味わったからこそ、ラザロの復活に大きな喜びと慰めを彼女たちは見出すことができたと思います。この物語は、死という圧倒的に希望がなく、悲しみや絶望にあふれている場所に、イエスさまが復活の命を携えて、訪れてくださったことを伝えています。その際、イエスさまはラザロにとって、またマリアやマルタにとって、彼らを心から愛する友として、ベタニアへと向かっています。イエスさまは、すべての人の友となるために、私たちのもとに来てくださいました。それは、私たちにとって、大きな驚きです。神の子であるイエスさまが、私たちの友となってくださっているのですから。死が圧倒的に支配している場所に、命をもたらすために訪れてくださったように、イエスさまは私たちが希望を失う場所に訪れ、共にいてくださる友です。イエスさまは私たちにとって、どんなに希望のない場所であっても、決して見捨てずに一緒にいてくださる友です。それは、私たちがこの地上で経験する、あらゆる苦しみや悲しみにおいても、そして死の瞬間においても、共にいてくださることを意味します。イエスさまは、私たちといつも一緒にいて、希望のない場所でこそ、希望を手渡してくださる友です。