
2026年1月4日 降誕節第2主日
説教題:ナザレのイエスと共にある旅
聖書: マタイによる福音書 2:13–23、創世記 26:15–25、詩編 46、ローマの信徒への手紙 12:17–18
説教者:稲葉基嗣
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私たちの会は、ナザレン教会という名前の世界教会に所属しています。ナザレン教会は、ナザレ出身のイエス・キリストの教会という意味です。社会の中で苦しみ、弱い立場に置かれている人たちに寄り添い、手を差し伸べたこのナザレのイエスのように、自分たちも、人を愛したい。そんな願いがこのナザレン教会という名前には込められています。イエスさまは、ベツレヘムで生まれましたが、すぐにナザレには戻れませんでした。ユダヤの王ヘロデが、イエスさまを殺そうとしていたためです。そのため、イエスさまの家族は、難民としてエジプトに身を寄せました。彼らは安住の地を持たずに生活をしていたといえます。先の見えない旅をイエスさまはその誕生の時から強いられていました。ある程度時間が経ってから、イエスさまの家族はナザレの村へやって来ました。マタイにとってナザレは、ようやく身を寄せることができた安全な場所でした。けれども、ナザレが永遠の住まいになるなんて保証はどこにもありません。そう思うと、故郷のナザレだって、一時的な住まいともいえます。イエスさまの家族は安心した居場所を持たない、旅人のような家族でした。それは何も、イエスさまやイエスさまの家族だけの経験というわけではありません。誰もが、この地上においては、彼らのような旅人であるはずです。だって、私たちの故郷は天の御国にあるからです。今はまだたどり着かないけど、やがて必ずたどり着く天の御国に、私たちは思いを寄せながら、この地上での旅を続けています。イエスさまはその生涯の初めから、まさに旅人でした。不安定で、行き先の見えない日々をイエスさまは家族と一緒に過ごしました。イエスさまがそのような境遇を経験したのは、イエスさまがまさに、すべての人と共にあろうとしたからです。私たちが天の御国へと向かう、この旅の途中で経験する、あらゆる困難を私たちと共にするためにイエスさまは私たちのもとに来てくださいました。この一年も、私たちの地上での旅は、良いことも悪いこともあるのでしょう。そんな私たちにとって、確かなことがふたつあります。ひとつめは、私たちの旅は天の御国へと必ずたどり着く旅であるということです。ふたつめは、その旅の同伴者はイエスさまと教会に集う仲間たちであることです。イエスさまは私たちとどんな時も一緒にいるために来てくださいました。そして、私たちはイエスさまが私を愛し、慈しみ、憐れんでくださっているように、愛し、慈しみと憐れみの心をもってお互いに手を取り合って旅を続けましょう。