みなさんこんにちは。今回は、「主の御名を呼び求める者はみな救われる」とはどういうことなのかを考えてみたいと思います。
というのは、福音を知らなくても、イエスがメシア(救い主)なる神なんだと認めて、心からイエス様を呼び求めたら救われるんだと信じてしまっている人が身近にいたからです。ですので、皆さんも、間違って伝道してしまうことがないようにこの投稿をさせてもらうことにいたしました。
「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のですという言葉は、ローマ人への手紙 10章13節にある聖書の言葉なんです。この部分だけを見ているならば、確かに福音をしらなくても、救われる方法があるように読めてしまうかも知れません。しかし、大切なことは、聖書は文脈で読まなければいけないということです。ですので、この13節だけでなく、17節までの文脈で読んでみると、全然違った見え方がしてくると思うので、ご一緒に読んでみたいと思います。聖書箇所の中の()内は、私の補足説明です。
ローマ人への手紙 10章13~17節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会
"「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。
しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。
「なんと美しいことか、良い知らせ(福音のこと)を伝える人たちの足は」と書いてあるようにです。しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。私たちが聞いたことを、だれが信じたか」とイザヤは言っています。
ですから、信仰(ここは文脈的には救いに至る信仰のこと)は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことば(福音のこと)を通して実現するのです。"
詳しくは音声解説に譲りますが、ここでは、救われる方法が述べられています。誰かが遣わされて、福音を宣べ伝えてくれたから、福音を聞いて、さらにその福音を信じたから、その人は、主の御名を呼び求められるんだということが書いてあるんですね。
つまり、福音を知らなくても、イエスがメシア(救い主)なる神なんだと認めて、心からイエス様を呼び求めたら救われるという事は決して書いておらず、
福音を聞いたから福音を知っていて、その福音を信じたから、その人は、主の御名を呼び求められるようになったという話なんですね。
この人は、主の御名を呼び求める前に、福音を聞いて信じていたんです。
じゃあその福音とは何かと言うと、パウロがコリントの人への手紙の15章ではっきりと述べられています。
コリント人への手紙 第一 15章1~11節 聖書 新改訳2017〓2017新日本聖書刊行会
"兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。
私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。
私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。
キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと(今も生きておられるということです。)、
(本当によみがえられたので、多くの人の前に現れられました。パウロがこの手紙を書いたころは、その大多数がまだ生きていたので、復活を信じられないなら、直接訊ねてみることができるよという意味で、ただ3日目によみがえられたとして文章が終わるのではなく、復活のイエスに会った人たちが多くいたことが書かれています。)
また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。その後、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れました。そして最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。私は使徒の中では最も小さい者であり、神の教会を迫害したのですから、使徒と呼ばれるに値しない者です。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。
とにかく、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。"
とあります。ここにも、
私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。
とあります。ですので、福音を知らなくても、イエスがメシア(救い主)なる神なんだと認めて、心からイエス様を呼び求めたら救われるのでは決してないことがここからも分かります。
ここで述べている福音によって救われ、そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいますとあるんですね。
ですので、洗礼を受けて、自分はもう救われていると思っているみなさんにあえて質問したいと思うんです。ここで宣べられている福音を信じていますか?もしそうでなければ、残念ながらまだ救われていないということになるんです。でも安心してください。この福音の内容を満たすようなお方として、イエス・キリストを信頼したら今すぐに救われますので!!
ここで宣べている福音とはこうです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、
自分が罪人だと認めて(誠の神を神として認めていなかったことを聖書では罪といいます。背きの罪が最大の罪なんです。)その罪のために、イエス・キリストが死んでくださり、葬られ、3日目によみがえられたそのようなお方だと信頼したら救われるんです。
もしこの福音をまだ信じていなかったという方は是非、今この祈りをされることをオススメします!!
●「私は罪人です」と認めて「罪を赦してください」と願う気持ち。(罪とは、「的外れ」という意味です。私たちは、私たちを造ってくださったお方に背を向けたり、反抗したりしながら生きています。そこから、さまざまな罪の行為が生まれてくるのです)●あなたをその罪から救い出すために、イエス・キリストが十字架で死に、葬られ、3日目に復活された事を「信じます」と素直に言える気持ちがあれば、是非この祈りを今して、罪の赦し、神の怒りからの救いを受け取りましょう!!
天の父なる神様。私はあなたに背を向けて生きてきました。お赦しください。イエス・キリストが私の罪のために死に、墓に葬られ、3日目に復活されたことを信じます。イエス・キリストを私の人生の主として心にお迎えします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
今そこまでは信じられなくても、もう少し真の神様を知りたいと思う方はこのお祈りをオススメします。全世界を創られた神様、私はあなたの事がまだよく分かりません。でも、もし本当にいらっしゃって、今も働いておられるなら、私が分かる形で、それを見せてください。アーメン。
主の御名を呼び求めると救われるとは?.mp3