おまけ録音を追録でしました。オズワルドのデポーショナルの代読The Changed Lifeです。
訂正: 2月15日と言っていますが12月15日(2022年)の言い間違えです。
(Podcsatでは触れられませんでしたが『悔い改め』自体も実際には自力では無いと私も感じていましたらオズワルドもそのように言っていました。)
====<サタンの技について>====
'すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言った。
イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。
あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。 '
マタイによる福音書 16:22-23口語訳
'世と世にあるものとを、愛してはいけない。
もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。
すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、
父から出たものではなく、世から出たものである。 ' ヨハネの第一の手紙 2:15-16口語訳
<救いにあずかる>
'あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。
それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。
決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。 '
エペソ人への手紙 2:8-9口語訳
<信仰とは>
'さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。
信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、
したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。 '
ヘブル人への手紙 11:1-3口語訳
<魂の休み>
'すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。'
マタイによる福音書 11:28-30口語訳
<砕けた魂について>
'神の受けられるいけにえは砕けた魂です。
神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません。'
詩篇 51:17 JA1955
'だから、神の御旨に従って苦しみを受ける人々は、善をおこない、
そして、真実であられる創造者に、自分のたましいをゆだねるがよい。'
ペテロの第一の手紙 4:19口語訳
'その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、
なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。 '
ヘブル人への手紙 12:9
<陰府について>
わたしの魂は悩みに満ち、わたしのいのちは陰府に近づきます。
詩篇 88:3 JA1955
陰府と滅びとは主の目の前にあり、人の心はなおさらである。
箴言 15:11 JA1955
主よ、あなたはわたしの魂を陰府からひきあげ、
墓に下る者のうちから、わたしを生き返らせてくださいました。
詩篇 30:3 JA1955
<<神の言について>>
'初めに言があった。
言は神と共にあった。言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。 すべてのものは、これによってできた。
できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 '
ヨハネによる福音書 1:1-4
'聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、
人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、
完全にととのえられた者になるのである。'
テモテヘの第二の手紙 3:16-17
(「神の前で格闘すること」このデボーショナルを日本語訳をしBlogに転載していますのでご参考までにどうぞ)
<御霊(聖霊)の実>
'しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、
寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制であって、
これらを否定する律法はない。 '
(ちなみにドイツ語聖書では「忠実」は"誠実"という意味が含まれているところがありました。) ガラテヤ人への手紙 5:17,22-23
'わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。
そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。
なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、
また御霊の欲するところは肉に反するからである。
こうして、二つのものは互に相さからい、
その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。
もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。 ' ガラテヤ人への手紙 5:16-18 口語訳
<光と闇>
'神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、
わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。 '
ヨハネの第一の手紙 1:6口語訳
人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。
わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。
ヨハネによる福音書 6:63 JA1955
<イエスがこの世に来たこと>
'あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。
あなたがたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である。 '
ルカによる福音書 12:51口語訳
<水のバプテスマ>
'イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。
だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。 '
ヨハネによる福音書 3:3口語訳 <自由について>
'だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、
あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。 '
ヨハネによる福音書 8:36口語訳
<喜びについて>
わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、
また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。
ヨハネによる福音書 15:11 JA1955
<神と富について>
'どの僕でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。
一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。
あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。'
ルカによる福音書 16:13口語訳
(ちなみにこの「富」についてドイツ語ルター版聖書は「富」がアムル語の'マモン'でした。
そこでKJV(キング・ジェームスバージョン)を確認するとやはりアムル語のマモンと表記されていました。
しかしNKJは富や財の英語表記になっていました。
その他の翻訳では、オズワルドの引用先になっているNIVも英語の富や財でした。
他にもノルウェー語聖書(NB)やイタリア語聖書(1885)はアムル語表記はされず、日本語口語訳(JA1955共に)などと同じ翻訳でした。)
'だから、あすのことを思いわずらうな。
あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。
一日の苦労は、その日一日だけで十分である。'
マタイによる福音書 6:34口語訳
'あすのことを誇ってはならない、
一日のうちに何がおこるかを 知ることができないからだ。 ' 箴言 27:1口語訳
<<神が喜ぶこと>>
神のみこころは、あなたがたが清くなることである。
すなわち、不品行を慎み、 テサロニケ人への第一の手紙 4:3 口語訳 https://my.bible.com/ja/bible/1820/1TH.4.3.口語訳
'もし人が卑しいものを取り去って自分をきよめるなら、
彼は尊いきよめられた器となって、主人に役立つものとなり、
すべての良いわざに間に合うようになる。 '
テモテヘの第二の手紙 2:21
肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、
たましいの父は、わたしたちの益のため、
そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。 ヘブル人への手紙 12:10
すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。
きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。 ヘブル人への手紙 12:14
'わたしは神の熱情をもって、あなたがたを熱愛している。
あなたがたを、きよいおとめとして、
ただひとり男子キリストにささげるために、婚約させたのである。 ' コリント人への第二の手紙 11:2 口語訳
'悲しみは笑いにまさる。
顔に憂いをもつことによって、 心は良くなるからである。 ' 伝道の書 7:3
'むなしい物に迷って行ってはならない。
それは、あなたがたを助けることも救うこともできないむなしいものだからである。 '
サムエル記上 12:21 口語訳
'十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。
すなわち、聖書に、 「わたしは知者の知恵を滅ぼし、 賢い者の賢さをむなしいものにする」 と書いてある。
知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。
この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。
この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。
それは、神の知恵にかなっている。
そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。 '
コリント人への第一の手紙 1:18-21
インナーチャイルドがいない方にも解決策がありますのでぜひお聴きください。
「今生れたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。
それによっておい育ち、救に入るようになるためである。」
ペテロの第一の手紙 2:2 口語訳
今回は前回配信したたった1週間で私にとってはかなり劇的変化が起こったのでその体験談を聖句と共にお話しました。相変わらずうまく話せていません。例えば部屋の移動の場所の(実際は南西から東へ)説明などまだ脳に障害が残っているようで自分では話しているつもりになっているのです。
これらのことは福音の「聖化」に重要なことでは無いため再録音せずに配信しています。どうぞご理解のほどよろしくお願いいたします。
福音の醍醐味である「聖化」による作り替えは個人の努力でも精進でもない人間の霊性(スピリット/心の善悪)をキリストを通して神と同じ愛へと直してくれる教訓は本当に素晴らしいと日々感じているところです。
聖書の自分を愛するとは「自分の魂を愛する」と言う意味ですから「隣びと」も同様の意味となります。
ぜひヘブル語(ヘブライ語)解釈で整合性のある理解を互いに進めて励ましあいを深めましょう。
(魂で聖書(新旧)を読むとヘブル語解釈になっていることに気づかされました。スピリット(心)で読むと反発がブロックが必ずかかりますし
トラウマがあると読む進めることが困難になってしまいます。聖書の価値観はこの地とは真逆だと言うことは昨年お話しした通りですが
神学者で牧師でもあったオズワルド・チェンバーズも同じことを言っています。オズワルドの過去の著書7冊は英語でフリーで読むことができます。
私は聖書心理学がとても興味深いと思っています。日本語ですと無料の聖書アプリ(Youバージョンの短いデボーションが2種類だけあります、私も繰り返し読み続けるようにしています。)
今回配信の中で代読し聖句を体験談と共に説明しながら読んだヤコブの手紙4章
'あなたがたの中の戦いや争いは、いったい、どこから起るのか。それはほかではない。
あなたがたの肢体の中で相戦う欲情からではないか。 あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする。
熱望するが手に入れることができない。そこで争い戦う。
あなたがたは、求めないから得られないのだ。 求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、悪い求め方をするからだ。
不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。
おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。
それとも、「神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる」と聖書に書いてあるのは、むなしい言葉だと思うのか。
しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とある。
そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。
神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。
罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。
苦しめ、悲しめ、泣け。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えよ。
主のみまえにへりくだれ。そうすれば、主は、あなたがたを高くして下さるであろう。
兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない。
兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。
もしあなたが律法をさばくなら、律法の実行者ではなくて、その審判者なのである。
しかし、立法者であり審判者であるかたは、ただひとりであって、救うことも滅ぼすこともできるのである。
しかるに、隣り人をさばくあなたは、いったい、何者であるか。 '
ヤコブの手紙 4:1-12 https://my.bible.com/bible/1820/JAS.4.1-12
ヘブル人への手紙 11:1
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
https://my.bible.com/ja/bible/1820/HEB.11.1.口語訳
ガラテヤ人への手紙 5章
'自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。
だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。
見よ、このパウロがあなたがたに言う。
もし割礼を受けるなら、キリストはあなたがたに用のないものになろう。 割礼を受けようとするすべての人たちに、もう一度言っておく。
そういう人たちは、律法の全部を行う義務がある。
律法によって義とされようとするあなたがたは、キリストから離れてしまっている。恵みから落ちている。
わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされる望みを強くいだいている。
キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。
あなたがたはよく走り続けてきたのに、だれが邪魔をして、真理にそむかせたのか。
そのような勧誘は、あなたがたを召されたかたから出たものではない。
兄弟たちよ。わたしがもし今でも割礼を宣べ伝えていたら、どうして、いまなお迫害されるはずがあろうか。
そうしていたら、十字架のつまずきは、なくなっているであろう。
兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。
ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。
律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。
気をつけるがよい。もし互にかみ合い、食い合っているなら、あなたがたは互に滅ぼされてしまうだろう。
わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。
そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。
なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。
こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。
もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。
肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。
わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。
互にいどみ合い、互にねたみ合って、虚栄に生きてはならない。'
ガラテヤ人への手紙 5:1-8,11,13-26
https://my.bible.com/bible/1820/GAL.5.1-8,11,13-26
ダニエル書 8章
'彼は言った、「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」。 '
ダニエル書 8:14 https://my.bible.com/bible/1820/DAN.8.14
マタイによる福音書 24章
'預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、
そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。
屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。 畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。 その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。
あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。
その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。
しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。 '
マタイによる福音書 24:15-22
https://my.bible.com/bible/1820/MAT.24.15-22
イースターを迎えるにあたって、聖化で純化されるためにも振り返りたい点を良書とされるオズワルド・チェンバーズ著書の中からデボーションを三つ代読し私の実体験を振り返りつつ、今、聖化が次々と起き私の霊性の変化の真っ只中で実況中継的なお話の回となりました。
デボーションの代読箇所をVoice of Seeleのブログへ転載しています。ぜひ繰り返し読んで心に留めてみてください。
https://site-3807662-4851-3213.mystrikingly.com/blog/oswald-chambers
2週間前に突如環境が変わり、祈り(願い)が2日後に叶っていることに驚きつつもスピリットの変化(聖化)がすぐに起きることを日に何回も経験している日々です。聖化の成果があまりにも明らかなので急遽配信することにしました。
次回配信予定の「神さま、主(キリスト)が養ってくれます」のブログ記事です。
私がいつもキリストに出してもらっているお茶タグも画像UPしてみました。ぜひこのお茶タグをご覧ください。
( https://site-3807662-4851-3213.mystrikingly.com/blog/3a37e111ac6 )
私は現時点で社会の役に立つ人間ではありません。日本は何かと「役に立つ」情報発信が非常に多い国なのだとドイツにいて気づかされました。
社会の役に立たないよりは立った方が良い、という強制的思考の選択がその背景を多数派にしていることもドイツにいると痛感します。
私の親しい友人であるドイツ人たちは基本的に社会の役に立つというベースで生きていないことに気づいた時からいろんな人を考察し、日本ほどアメリカほど国のために生きている先進国出身の人はいないように感じました。
私自身は2021年以降は社会の役に立つ人間を目指す自分を鎧を脱ぎ捨てました。
堅い信念を持ち続けることに専念し、努力や精進ではなく恵みなので聖化によって生き抜くことを目指しています。
必要なものはいつもその時々に最低限与えられているように思います。だからやはりエバンゲリオンが真実だと日々痛感します。
働く=お金を稼ぐという日本独自の価値観からの脱却は私をさらに自由にしてくれています。
将来への不安もなくなり始め、まだ心の奥底ですがきっと父(創造主)が将来をも困らないようにしてくれると思えるようになり
自分の将来を不安定な国の社会制度をあてにすることも昨秋にやめてしまうとなんと気楽なことだとも気づかされました。
それは国は裏切るけど神は絶対に裏切らないからです。
だからこそ公平で公正な正義と愛を堅く持って生きる道をまい進しようと思えました。
それは神には暗いところは一切なく不義(不正義)なことを絶対にしないからです。
天地あっての地球だということを気づいたら天の法則を抜きに生きぬことがどれだけ大変だったかもわかりました。
我慢や無理ばかりの地の世界から脱却できる福音の教えは他力本願です、自力ではありません。
ぜひ「聖化ってなんなん?」もお聞きください。
'求めよ、そうすれば、与えられるであろう。
捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、
天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。 '
マタイによる福音書 7:7-11
https://my.bible.com/bible/1820/MAT.7.7-11
およそ50日数日間の患難を通して感じたゆるゆる話とこの録音後に起こった患難終末を追録でお話ししました。
追録の私の隣人トラブルからMCS再発など患難の詳細の第1回目配信はこちらです。