藤の実
著者:寺田 寅彦 読み手:水野 久美子 時間:11分4秒
昭和七年十二月十三日の夕方帰宅して、居間の机の前へすわると同時に、ぴしりという音がして何か座右の障子にぶつかったものがある。子供がいたずらに小石でも投げたかと思ったが、そうではなくて、それは庭の藤棚の藤豆がはねてその実の一つが飛んで来たのであった。宅のものの話によると、きょうの午後一時過ぎから四時過ぎごろまでの間に頻繁にはじけ、それが庭の藤も台所の前のも両方申し合わせたように盛んにはじけたということであった。台所のほうのは、一間ぐらいを隔てた障子のガラスに衝突する音がなかなかはげしくて、今にもガラスが割れるかと思ったそうである。自分の帰宅早々経験したものは、その日の爆発の最後のものであったらしい・・・
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火の玉を見たこと
著者:牧野 富太郎 読み手:福井 一恵 時間:5分16秒
時は、明治十五、六年頃、私はまだ二十一、二才頃のときであったろうと思っているが、その時分にときどき、高知(土佐)から七里ほどの夜道を踏んで西方の郷里、佐川町へ帰ったことがあった。
かく夜中に歩いて帰ることは当時すこぶる興味を覚えていたので、ときどきこれを実行した。すなわちある時はひとり、またある時は二人、三人といっしょであった。
ある夏に、例のとおりひとりで高知から佐川に向かった。郷里からさほど遠くない加茂村のうちの字、長竹という在所に国道があって、そこが南向けに通じていた・・・
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鼻
著者:芥川 龍之介 読み手:西村 文江 時間:22分55秒
禅智内供の鼻と云えば、池の尾で知らない者はない。長さは五六寸あって上唇の上から顋の下まで下っている。形は元も先も同じように太い。云わば細長い腸詰めのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下っているのである。
五十歳を越えた内供は、沙弥の昔から、内道場供奉の職に陞った今日まで、内心では始終この鼻を苦に病んで来た。勿論表面では、今でもさほど気にならないような顔をしてすましている。これは専念に当来の浄土を渇仰すべき僧侶の身で、鼻の心配をするのが悪いと思ったからばかりではない。それよりむしろ、自分で鼻を気にしていると云う事を、人に知られるのが嫌だったからである。内供は日常の談話の中に、鼻と云う語が出て来るのを何よりも惧れていた・・・
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どんぐり
著者:寺田 寅彦 読み手:齊藤 雅美 時間:19分36秒
もう何年前になるか思い出せぬが日は覚えている。暮れもおし詰まった二十六日の晩、妻は下女を連れて下谷摩利支天の縁日へ出かけた。十時過ぎに帰って来て、袂からおみやげの金鍔と焼き栗を出して余のノートを読んでいる机のすみへそっとのせて、便所へはいったがやがて出て来て青い顔をして机のそばへすわると同時に急に咳をして血を吐いた。驚いたのは当人ばかりではない、その時余の顔に全く血のけがなくなったのを見て、いっそう気を落としたとこれはあとで話した。
あくる日下女が薬取りから帰ると急に暇をくれと言い出した。このへんは物騒で、お使いに出るときっといやないたずらをされますので、どうも恐ろしくて不気味で勤まりませぬと妙な事を言う・・・
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食通
著者:太宰 治 読み手:緒方 朋恵 時間:2分9秒
食通というのは、大食いの事をいうのだと聞いている。私は、いまはそうでも無いけれども、かつて、非常な大食いであった。その時期には、私は自分を非常な食通だとばかり思っていた。友人の檀一雄などに、食通というのは、大食いの事をいうのだと真面目な顔をして教えて、おでんや等で、豆腐、がんもどき、大根、また豆腐というような順序で際限も無く食べて見せると、檀君は眼を丸くして、君は余程の食通だねえ、と言って感服したものであった。伊馬鵜平君にも、私はその食通の定義を教えたのであるが、伊馬君は、みるみる喜色を満面に湛え、ことによると、僕も食通かも知れぬ、と言った・・・
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哀れなトンマ先生
著者:坂口 安吾 読み手:吉江 美也子 時間:8分
「漫画」という変な雑誌へオツキアイするせいではありませんが、私は、どうも、ブンナグラレルかも知れませんが、帝銀事件というものを、事の始めから、それほど凄味のある出来事だと思っていませんでした。
私が、ヒドイ奴だと思ったのは小平という先生で、この先生はイヤだった。どうにも、むごたらしくて、救いがない。まるで、それがオキマリのように、必ず 女の子をヒネリ殺して、この先生は人間らしい苦しみは殆どもたなかったに違いない。これは、やりきれないことです・・・
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接吻
著者:江戸川 乱歩 読み手:福井 慎二 時間:28分53秒
一
近頃は有頂天の山名宗三であった。何とも云えぬ暖かい、柔かい、薔薇色の、そして薫のいい空気が、彼の身辺を包んでいた。それが、お役所のボロ机に向って、コツコツと仕事をしている時にでも、さては、同じ机の上でアルミの弁当箱から四角い飯を食っている時にでも、四時が来るのを遅しと、役所の門を飛び出して、柳の街路樹の下を、木枯の様にテクついている時にでも、いつも彼の身辺にフワフワと漂っているのであった。
というのは、山名宗三、この一月ばかり前に新妻を迎えたので、しかも、それが彼の恋女房であったので・・・
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赤いくつ
著者:ハンス・クリスティアン・アンデルセン/楠山 正雄 訳 読み手:宮崎 文子 時間:26分
あるところに、ちいさい女の子がいました。その子はとてもきれいなかわいらしい子でしたけれども、貧乏だったので、夏のうちははだしであるかなければならず、冬はあつぼったい木のくつをはきました。ですから、その女の子のかわいらしい足の甲は、すっかり赤くなって、いかにもいじらしく見えました。
村のなかほどに、年よりのくつ屋のおかみさんが住んでいました。そのおかみさんはせっせと赤いらしゃの古切れをぬって、ちいさなくつを、一足こしらえてくれていました。このくつはずいぶんかっこうのわるいものでしたが、心のこもった品で、その女の子にやることになっていました。その女の子の名はカレンといいました。
カレンは、おっかさんのお葬式の日に、そのくつをもらって、はじめてそれをはいてみました・・・
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正岡子規
著者:夏目 漱石 読み手:福井 一恵 時間:12分24秒
正岡の食意地の張った話か。ハヽヽヽ。そうだなあ。なんでも僕が松山に居た時分、子規は支那から帰って来て僕のところへ遣って来た。自分のうちへ行くのか と思ったら、自分のうちへも行かず親族のうちへも行かず、此処に居るのだという。僕が承知もしないうちに、当人一人で極めて居る。御承知の通り僕は上野の 裏座敷を借りて居たので、二階と下、合せて四間あった。上野の人が頻りに止める。正岡さんは肺病だそうだから伝染するといけないおよしなさいと頻りにい う。僕も多少気味が悪かった。けれども断わらんでもいいと、かまわずに置く・・・
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文章と言葉と
著者:芥川 龍之介 読み手:小川 幸香 時間:3分18秒
文章
僕に「文章に凝りすぎる。さう凝るな」といふ友だちがある。僕は別段必要以上に文章に凝つた覚えはない。文章は何よりもはつきり書きたい。頭の中にあるものをはつきり文章に現したい。僕は只それだけを心がけてゐる。それだけでもペンを持つて見ると、滅多にすらすら行つたことはない。必ずごたごたした文章を書いてゐる。僕の文章上の苦心といふのは(もし苦心といひ得るとすれば)そこをはつきりさせるだけである・・・
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愛妻家の一例
著者:岸田 國士 読み手:二宮 正博 時間:15分23秒
ルナアルの日記を読んで、いろいろ面白い発見をするのだが、彼は自分の少年時代を、「にんじん」で過したゞけあつて、大人になつてからも、常に周囲を「にんじん」の眼で眺め暮した世にも不幸な人間なのである。一度は友達になるが、その友達は、大概いつかは彼のひねくれ根性に辟易し、彼の方でも、その友達のどこかに愛想をつかして、どちらからともなく離れて行つてしまふ。
作家として、痛ましいほどの良心をもち、真実を追求する態度の厳粛さは、凡そ悪魔に憑かれてゐるとでも云ひたいくらゐだのに、人を愛し、人から愛される何ものかを欠いてゐる不思議な性格が、針のやうに彼を見る心を刺すのである。
さういふ彼が、この世で唯一人、無条件に愛し得たのは、平凡なやうだが、その妻のマリイであつた・・・
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白昼夢
著者:江戸川 乱歩 読み手:宮崎 文子 時間:15分57秒
あれは、白昼の悪夢であったか、それとも現実の出来事であったか。
晩春の生暖い風が、オドロオドロと、火照った頬に感ぜられる、蒸し暑い日の午後であった。
用事があって通ったのか、散歩のみちすがらであったのか、それさえぼんやりとして思い出せぬけれど、私は、ある場末の、見る限り何処までも何処までも、真直に続いている、広い埃っぽい大通りを歩いていた。
洗いざらした単衣物の様に白茶けた商家が、黙って軒を並べていた。三尺のショーウインドウに、埃でだんだら染めにした小学生の運動シャツが下っていたり、碁盤の様に仕切った薄っぺらな木箱の中に、赤や黄や白や茶色などの、砂の様な種物を入れたのが、店一杯に並んでいたり・・・
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将棋の鬼
著者:坂口 安吾 読み手:水野 久美子 時間:17分13秒
将棋界の通説に、升田は手のないところに手をつくる、という。理窟から考えても、こんなバカな言い方が成り立つ筈のものではない。
手がないところには、手がないにきまっている。手があるから、見つけるのである。つまり、ほかの連中は手がないと思っている。升田は、見つける。つまり、升田は強いのである。
だから、升田が手がないと思っているところに手を見つける者が現れゝば、その人は升田に勝つ、というだけのことだろう。
将棋指しは、勝負は気合いだ、という。これもウソだ。勝負は気合いではない。勝負はたゞ確実でなければならぬ。
確実ということは、石橋を叩いて渡る、ということではない・・・
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私の思い出
著者:柳原 白蓮 読み手:三田 朱美 時間:13分45秒
歴史は繰り返すと申しますが、つくづくと考えてみますと、私の生まれる少し前と現代とが、不思議なほどよく似ていると思うのです。徳川三〇〇年の幕府が倒れて多くの大名が、それぞれ国境を撤廃してめいめいが持っていた侍すなわち、軍隊をやめ、両刀をなくしたことはつまり軍備をすててしまって日本という一つの国に統一しました。これで国内の平和は完全なものとなりました。
それからというもの、日本はまったく旭日昇天の勢いでした。その希望にみちみちた、明治は一八年に私は生まれました。
私の父は何代となく宮廷に仕えた公卿の家で、明治維新のためにもいくらかの功労者でありましたから相当の役にもついていましたし父の妹は、官名を早蕨典侍とよばれて、明治天皇の側近に仕えていました・・・
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森の神
著者:夢野 久作 読み手:室 由美子 時間:1分45秒
森の神様が砂原を旅する人々のために木や竹を生やして、真青に茂りました。その真中に清い泉を湧かして渇いた人々に飲ましてやりました。すると大勢の人がやって来て木の下へ家を立て並べて森のまわりに柵をして、中へ休みに入る人からお金を取りました。水を飲む人からはその上に又お金を取りました。
森の神様はこんな意地の悪い人々を憎んで、森を枯らして泉を涸らしてしまいました。
旅人からお金を取った人々は大層困って「何という意地の悪い神様だろう」と、森の神様を怨みました。
森の神様は言いました。
「私はお前たちのためにこの森をこしらえたのではない。旅人のためにこしらえたのだ」・・・
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幽霊滝の伝説
著者:小泉 八雲/田部 隆次 訳 読み手:福井 慎二 時間:8分34秒
伯耆の国、黒坂村の近くに、一条の滝がある。幽霊滝と云うその名の由来を私は知らない。滝の側に滝大明神と云う氏神の小さい社があって、社の前に小さい賽銭箱がある。その賽銭箱について物語がある。
今より三十五年前、ある冬の寒い晩、黒坂の麻取場に使われている娘や女房達が一日の仕事を終ったあとで炉のまわりに集って、怪談に興じていた。はなしが十余りも出た頃には大概のものはなんだか薄気味悪くなっていた・・・
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時代色 -歪んだポーズ
著者:岡本 かの子 読み手:緒方 朋恵 時間:3分18秒
センチメンタルな気風はセンチと呼んで唾棄軽蔑されるようになったが、世上一般にロマンチックな気持ちには随分憧れを持ち、この傾向は追々強くなりそうである。
飛躍する気持になり度い。何物かに酔うて恍惚とした情熱にわれを忘れたい。大体こういう気風である。だが、世上一般の実状はその反対を強ている。それだけ人々は却てそれを欲っするのかも知れない。
世上一般の実状が人々に強いるものはリアリズムである。如何に苦しく醜い現実でも青眼に直視せよと言うのである。然らざれば生活の足を踏み滑らす・・・【青空朗読】とは
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はだかの王さま
著者:ハンス・クリスチャン・アンデルセン/大久保 ゆう 訳 読み手:宮崎 文子 時間:21分43秒
むかしむかし、とある国のある城に王さまが住んでいました。王さまはぴっかぴかの新しい服が大好きで、服を買うことばかりにお金を使っていました。王さまののぞむことといったら、いつもきれいな服を着て、みんなにいいなぁと言われることでした。戦いなんてきらいだし、おしばいだって面白くありません。だって、服を着られればそれでいいんですから。新しい服だったらなおさらです。一時間ごとに服を着がえて、みんなに見せびらかすのでした。ふつう、めしつかいに王さまはどこにいるのですか、と聞くと、「王さまは会議室にいらっしゃいます。」と言うものですが、ここの王さまはちがいます。「王さまは衣装部屋にいらっしゃいます。」と言うのです・・・
・この作品は青空文庫に提供されています。
◇翻訳者:大久保 ゆう
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最小人間の怪 ―人類のあとを継ぐもの―
著者:海野 十三 読み手:福井 一恵 時間:8分
この秘話をしてくれたN博士も、先々月この世を去った。今は、博士の許可を得ることなしに、ちょっぴり書き綴るわけだが、N博士の霊魂なるものがあらば、にがい顔をするかもしれない。
以下は、N博士の物語るところだ。
私は大正十五年十二月二十六日の昼間、霧島の山中において、前代未聞の妖怪に出会った。
当時私は、冬山における動物の生態研究をつづけていたのだ。
私はキャンプを張り、幾週間も山中で起き伏していた・・・
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畜犬談 ー伊馬鵜平君に与えるー
著者:太宰 治 読み手:西村 文江 時間:41分54秒
私は、犬については自信がある。いつの日か、かならず喰いつかれるであろうという自信である。私は、きっと噛まれるにちがいない。自信があるのである。よくぞ、きょうまで喰いつかれもせず無事に過してきたものだと不思議な気さえしているのである。諸君、犬は猛獣である。馬を斃し、たまさかには獅子と戦ってさえこれを征服するとかいうではないか。さもありなんと私はひとり淋しく首肯しているのだ。あの犬の、鋭い牙を見るがよい。ただものではない。いまは、あのように街路で無心のふうを装い、とるに足らぬもののごとくみずから卑下して、芥箱を覗きまわったりなどしてみせているが、もともと馬を斃すほどの猛獣である・・・
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