「社内にいる専門家を含めた仕事の進め方がわかりません。分野の異なる専門家を、どうやってまとめていけばいいのでしょうか?」
── そんな切実な相談から始まった今回のエピソード。
弊社には、多様な専門性を持つメンバーが集まっています。しかし、専門家同士の会話はしばしば噛み合わず、プロジェクトの前提や“当たり前”が人によって全く違う。
優秀だからこそまとまりにくい、という現場特有の難しさがあります。
そこで弊社の代表・前山が語るのは、専門性を“固定された肩書き”ではなく、状況によって使い分けるべき“道具”として扱うという視点。
発端の質問に向き合いながら、前山が日々のプロジェクトで蓄積してきたリアルな知見を通して、「専門家とどう働くか」「専門性とどう向き合うか」を深く掘り下げる回です。
「反省しておきなさい。」
子どもの頃、学校の先生からそう言われた経験がある人は少なくないでしょう。社会人になってからも、上司に同じ言葉を投げかけられたことがあるかもしれません。日本の教育やビジネスの現場では、失敗や過ちに対して、この一言が常套句のように使われてきました。
けれど、よく考えてみると「〇〇になったら反省はやめていいです。」と言われたことは、ほとんどないのではないでしょうか。
では、いったいどこまで反省すればよいのか。どの段階で人は過去から解放されて自由となり、未来へと踏み出せるのか。その答えを誰も明確に教えてはくれません。
そもそも「反省」とは、何を意味するのでしょうか。
過ちや後悔を責め続け、自分に課した十字架を背負いながら生きること?
本エピソードでは、リスナーから寄せられた質問をきっかけに、「反省」を多角的に捉え直し、掘り下げていきます。
前回のエピソードでは、「多様性とは何か」という根本的な問いに向き合いました。
今回はその先へ。
多様性という概念が組織の中でどのような化学反応をもたらすのか。
時に創造的な力を解き放ち、時に摩擦や対立を生み出す、そのダイナミクスを探求していきます。
学術的知見を羅針盤としつつ、現代を生きる私たちの価値観にも光を当て、理想と現実のはざまで揺れ動く組織、そして“個人”の姿を映し出します。
その旗は、いつから
「守るための象徴」から
「従わせるための標」へと変わったのか。
自由のために掲げられたはずの言葉は、
いつしか、足並みを揃えるための
号令となり、命令となっていないか?
そもそも、足並みを揃える必要はあるのか?
確かに、社会が機能するためには一定の秩序は必要だろう。
けれど、それは画一化とは異なるはずだ。
それぞれの歩幅、それぞれの鼓動が、
世界に奥行きを与え、呼吸を生むのではないだろうか。
オーケストラが美しいのは、
異なる楽器が異なる音色を奏でながらも、
ひとつの調和を創り出すからのはずだ。
私たちに求められるのは、
互いの不確かさを抱えたまま、
それでも、隣り合わせに立ち続けることではないだろうか。
この対話は、
「受け入れること」と「従わせること」のあいだに潜む
本来の『多様性の輪郭』を描き出す試みである。
前回のエピソード#01・#02では、「“優秀さ”とは何か?」という問いを出発点に、さまざまな角度からその本質に迫りました。優秀さをどう捉えるかという“2つのパラダイム”を解きほぐし、そこから私たちがどのように行動すべきかを探る、深い対話の時間となりました。
そして今回は ─
そのエピソードを真剣に聴き込んでくださった、まさに“問いに向き合う力”を持ったリスナーの方からの質問に、私たちなりの視点で応答していきます。
一方向の発信では終わらせない。
「優秀さ」を巡る思考のキャッチボールが、ここからさらに深まります。
前回のエピソードでは、「優秀さとは本当に個人の能力だけで測れるものなのか?」という問いを起点に、個人そのものではなく“文脈”に焦点を当てた、新たなパラダイムの必要性を提起しました。
今回のエピソードでは、その流れを受け、「そもそも文脈とは何か?」「その中で人はどうすればパフォーマンスを発揮できるのか?」という根本的な問いに向き合います。
文脈を単なる背景ではなく、力学と構造が交錯する場として捉え、その複雑な仕組みを紐解くことに挑みます。
「優秀な人材が欲しい」──ビジネスの現場で幾度となく聞かれるこのフレーズ。では、その「優秀さ」とは、一体何を意味しているのでしょうか?
今回のHOIKŌ論では、この問いに立ち返り、「優秀さ」の本質を見つめ直します。
採用、評価、タレントマネジメントといった制度の根幹に据えられている「優秀」というラベル。しかし、それは本当に個人に内在する“能力”を指しているのでしょうか?
組織戦略の最前線に立つ私たちが、確かな知見とともに、「優秀さ」を巡る前提を軽やかに、そして本質的に掘り下げていきます。