2026年は、モネ、ゴッホ、ダ・ヴィンチから日本画・浮世絵まで、名画が一斉に集う注目の一年。本回では、公開情報をもとに、今年ぜひ押さえておきたい展覧会を時系列で紹介していきます。名画と“ちゃんと出会う”ための一年の歩き方を考えます。
美術の評価軸そのものに疑問を投げかけ、「これはアートじゃない」と言われるものをあえて描いたジャン・デュビュッフェ。
彼の試みは、アートの王道から外れた人たちの表現を体系化し、アーティストではなかった人々を歴史の舞台へと導いた。
皮肉にも既存の美術制度によって評価されながら、その内側から価値基準を揺さぶったディビュッフェの存在は、アートが“上手さ”や“正しさ”のためだけにあるものではないことを示している。
この回では、アウトサイダー・アートへの広がりとともに、「アートがあってよかった」と言える人生が確かに存在する理由を掘り下げていく。
電話中の落書き──ただの暇つぶしから生まれた線が、なぜ現代美術の代表作になったのか。今回のエピソードでは、ジャン・デュビュッフェの晩年を象徴するシリーズが、意図も思想もない「メモ」から始まったという驚くべき事実を掘り下げます。考え抜かれた表現より、無意識に動いた手が生んだ形に価値は宿るのか。アートとは何か、創造性とはどこから立ち上がるのかを、デュビュッフェの逸話を通して問い直します。
美術館に飾られる作品こそがアート、その常識を、真正面から否定したのがジャン・デュビュッフェでした。
一見すると「下手」としか思えない彼の絵は、「これはアートではない」と批判されるほどでしたが、本人はそれを最大の賛辞として喜んだと言います。
なぜ彼は王道の美術を嫌い、精神病院で生まれた表現やアウトサイダーの作品に価値を見出したのか。
ワイン商人という異色の経歴から、酷評と成功が同時に訪れた逆説的な評価まで、デュビュッフェが現代美術に残した決定的な問いをひも解きます。
西洋絵画の遠近法に魅了され、見よう見まねで挑戦した江戸の浮世絵師たち。しかし北斎の奇妙な縮尺や、国吉の“地球が丸く見える”霞ヶ関図など、残された作品には不思議な失敗があふれています。
その背景には、額縁の概念すら持たない日本の絵画思想と、窓の向こうに現実世界を再現しようとする西洋の思想という、根本的な発想の違いがありました。
やがて一部の天才――伝禅のように遠近法を驚異的に使いこなす者も現れますが、日本全体には普及しなかった“未完成の逆輸入”。この回では、時代を超えて交錯した東西の視点が生んだ奇妙で愛すべきアート秘話を紐解きます。
最晩年のゴッホは、精神の揺らぎと創作への執念が極端なかたちで混じり合い、〈カラスのいる麦畑〉など、空の色まで不穏さを帯びた作品を描き続けました。しかし死の状況は、拳銃の出所から撃たれた位置、歩いて宿に戻ったという行動まで不可解な点が多く、事故説・他殺説も生まれるほど謎に満ちています。そんな中、弟テオが駆けつけた枕元でゴッホが残したとされる「これが最善だった」という言葉は、家計への負担を気にしていた彼の胸の内を示すとも、真意は闇に包まれたままとも読める一言でした。
その後、テオは1年半後に急逝し、作品を守り抜いたのは妻ヨー。彼女の粘り強い編集とマーケティングによって、ゴッホの存在は〈悲劇の天才〉から〈歴史的芸術家〉へと確固たる評価を得ていきます。
アルルでの錯乱と入退院を繰り返したゴッホは、自由に制作できる環境を求めてサン=レミの療養所へ移り、ここで「星月夜」や「糸杉」など独自の筆致が最高潮に達した作品を生み出していきます。精神が揺らぐ中でも、短い筆致と渦を巻くようなうねりは彼にとって“リアル”の追求であり、周囲には狂気と映りながらも、新たな評価の芽を生んでいきました。一方で、弟テオへの深い依存と経済的な不安は、彼の心をさらに揺らし、作品の中に光と影を同時に刻み込んでいきます。サン=レミ時代のゴッホは、絶望と希望のあいだで揺れながら、名画の裏にある“最後の一年”を生き抜こうとしていました。
ゴッホがアルルで迎えた“耳を失う夜”には、手紙にも証言にも残されていない深い謎が潜んでいます。ゴーギャンとの共同生活が崩れ、理想と現実の落差に揺れる中、ゴッホは自らの耳を切り落とし、その一部を「大切にしてくれ」と言って見知らぬ女性に手渡しました。闘牛文化の“片耳を贈る”慣習になぞらえた新説や、精神の不安定さだけでは説明できない彼の意図を読み解きながら、なぜ彼は耳を差し出す必要があったのかを考察します。この事件を通じて、ゴッホという人物が抱えた孤独、こじれた理想、そして作品の裏にある複雑な心の動きに迫ります。
父の死を経て信仰の支えを失ったゴッホは、弟テオのもとを頼りパリへ向かう。そこで彼を待っていたのは、モネやスーラら印象派の光と色彩の世界。科学的な点描や色彩理論に触れた彼の絵は、暗闇から一転してまばゆい光を放ちはじめる。そして、出会った浮世絵に“影のない明るさ”と“日本という理想郷”を見出したゴッホは、南仏アルルへと旅立つ決意を固めていく。
光と日本に魅せられた画家の、転換と憧れの物語。
ゴッホが残した数多くの手紙の中には、愛と狂気の境界を彷徨うような言葉があふれています。
「私が幸せになるには、あなたが必要だ」――この執着にも似た思い込みは、信仰への渇望から愛への依存へと形を変え、彼の生涯を支配していきました。
拒絶されてもなお燃え続けた恋心は、やがて創作への異常なまでの集中力へと転化されていったのか?
この回では、ゴッホの恋愛遍歴を通して、“幸福”を求め続けた一人の芸術家の内面に迫ります。
信仰が揺らぎ、神の存在が疑われ始めた19世紀。
そんな時代に、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは絵筆を“祈り”のように握りしめた。
牧師を志して挫折し、救いを説くことができなかった彼は、キャンバスの上で「光」と「救済」を描こうとする。
思い込みの激しさと純粋な信念の狭間で、彼が見出した“信仰”、それは、太陽やひまわりといった自然の中に神を見出す、孤独な魂の探求だった。
牧師の家に生まれ、神を求めて絵筆をとったフィンセント・ファン・ゴッホ。たった10年の創作の中で2000点を描き上げた彼は、光を描こうとするほど闇に引きずり込まれていきました。弟テオの支えを受けながらも、報われぬ愛と孤独に苛まれた人生。それでも彼の絵は、誰よりも強く「生きること」を照らし続けています。今回の放送では、そんなゴッホの“美しい破滅”をたどります。
一見、ただの空気、ただの飴、ただの服。
けれど、その“何でもないもの”の中に、人の生や死、愛、記憶が静かに潜んでいるとしたら。
今回は、イブ・クライン、ボルタンスキー、フェリックス・ゴンザレス=トレスといったアーティストたちを通して、「コンセプチュアル・アート」が投げかける深い問いをたどります。
見ることよりも「感じること」こそがアートになる瞬間。あなたの心の中にも、きっと“見えない作品”が生まれるはずです。
覗き穴の向こうに広がるのは、裸体・滝・灯、デュシャンが死後に明かした《与えられたとせよ》、フィラデルフィア美術館の“扉”です。レディメイドで「選ぶこと」を発明した彼は、最後に徹底して「自作」へと反転し、鑑賞を共有不能な体験へと設計しました。沈黙、秘匿、そして公開のタイミングまでを作品化することで、「作品の価値はどこで、誰が、いつ決めるのか?」という問いが今も更新され続けています。本編では、制作背景(マリア・マルチンスとの関係やミニ・レトロスペクティブ的思考)を辿り、日々の意思決定やブランド設計に応用できる“見せない戦略”と“文脈の力”を読み解きます。
アートとは何かを問い続けた末に「アートをやめる」と告げ、デュシャンはチェスへ、さらにルーレットなどのギャンブルへと越境します(理論上勝てるという“デュシャン流必勝法”は、無限資金が前提という皮肉付き)。資金調達のため自作の「モンテカルロ債券」を発行し実際に売れますが、投資家への利回りを支払えず頓挫、企ては焦げ付きます。次は発明家として回転視覚装置「ロトレリーフ」を科学見本市に出展—500部作って売れたのはわずか2部、在庫と赤字だけが残りました。それでも彼はペギー・グッゲンハイムらに助言するディーラーとして価格形成の裏側を熟知し、作品の価値と市場価格のねじれに嫌気を募らせていきます。本エピソードは、アートの外側で続いた一連の実験が、デュシャンとって何を意味していたのかを考察していきます。
《大ガラス》を入り口に、「美術館にあるのは“思考”か“物”か、それとも“創作(プロセス)”か?」という核心に迫ります──設計図とメモの束〈グリーンボックス〉が“デュシャンの思考そのもの”を作品化し、アイデアは物と同等にアートたり得るのかを突きつけます。MoMAにあるオリジナルは輸送事故で入ったヒビを“完成”として受け入れた経緯があり、物質の状態さえ概念の一部となり得ることを示します。さらに、この“説明書つきアート”はハミルトンや東大チームらによる再制作を生み、レプリカでも“作者の思考”に準拠すれば作品と認め得るのかをめぐる価値判断を揺さぶりました。 番組では、ブランクーシ裁判に触れつつ「タイトルや見た目と“アート性”は必ずしも一致しない」という現代の前提を踏まえ、創作における“何に価値を置くか”というデュシャンの考えに触れます。
1917年、デュシャンは市販の男性用小便器に“R. Mutt 1917”と署名し、6ドル払えば誰でも出せるアンデパンダント展へフィラデルフィアから届いた体で送りつけ、「これはアートか?」という根源的な問いを投げかけました。会場では拒否されスキャンダル化、のちに『The Blind Man』誌で理論戦を仕掛け、「選ぶこと」自体を作品化するレディメイドの思想が広がり、20世紀の美術観をひっくり返します。さらに“R.Mutt”の正体や発送地をめぐって、バロネス関与を示唆する「デュシャン何もしてない説」まで浮上し、作者性と価値の源泉そのものが揺さぶられました。本編では、この事件の“仕掛け”と余波を手がかりに、ルールを逆手に取る発想、ネーミングと物語の力、そして「価値はどこで生まれるのか」というビジネスにも通じる視点を読み解きます。
日本画の「王道」を築いたエリート絵師集団・狩野派。幕府や武将に仕え、巨大な組織として日本美術の基盤を形づくった一方で、「型にはまりすぎてつまらない」と評されることもあります。そんな中、狩野派の祖・狩野正信が描いた《蓮池蟹図》は、枯葉や水の質感、蟹の重みまでも表現した異彩の一枚。室町時代にこれほどのリアリティが生まれていたことに驚かされます。本エピソードでは、狩野派の歴史と《蓮池蟹図》が放つ独自の輝きに迫ります。
ピカソは遺書を残さずにこの世を去り、3万点以上の作品や不動産が遺族の間で大混乱を巻き起こしました。相続額は1兆円規模に膨れ上がり、フランスはついに「美術品を相続税として物納できる」という特例、いわゆる“ピカソ法”を制定。こうしてピカソ美術館が誕生し、死後も社会を動かし続ける存在となりました。芸術を超えて法律までも変えた巨匠、その圧倒的な影響力の物語を掘り下げます。
ピカソ最晩年の傑作《アルジェの女たち》は、80歳を迎えた巨匠が描き上げた“完成形”とも言える作品です。ドラクロワやベラスケスといった過去の巨匠たちを咀嚼し、自らの解釈で塗り替えていく姿勢は、まさに「だから私はピカソになった」という言葉に重なります。絵画だけでなく陶芸や彫刻にまで挑み、あらゆる表現を飲み込んで「ピカソ」という唯一無二の存在となった彼の到達点。その最終形態に込められた意味を探ります。